青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

車変えようか

 

f:id:happyengel:20200512113632j:image

 

車は、道具だと思っているので、経済的な観点から、車を選んで乗ってきた。

予算は100万くらいです買えるもの。燃費が良くて、

小回りが効いて、視界が良いもの。

別れた亭主は、学生時代、免許を取ると、親にねだって、車を買ってもらった。

結婚して、真っ赤なマーク2のスポーツタイプの車も、親から。

その車の後からは、マツダの小型車。

高価な車など買えるはずもなく、100万で抑えるために、安くしてもらって。

マツダから、マーチに。

マーチは、とても乗りやすくて、長く乗れた。

最後の車になるか、と思って、乗りたい車を買おうと思って、プリウスにしようかと思ったが、コンパクトカーを乗ってきたので、アクアの方が視界も良くて乗りやすい。

今まで、最低の装備で、価格を抑えてきたのだけど、

アクアは、オプションを結構つけて、快適に乗れるように、値段よりも快適さや好みを優先。

乗り潰しするのがわたしのスタンス。

で、あったのだけど。

 

いつ、ぶつけたのか、日は覚えてないのだけど、

何処かで。曲がる時に、当てた記憶はあった。

タイヤを乗り換えることもあって、大きく凹んでしまっているバンパーも見てもらうことにした。

このまま乗ってても良いかな、と私は思ったのだけど、ディーラーに行くと、これは直した方が良いと言われて、見積もりしてもらったら、10万円かかる。

使ったことなくて、払うだけの自動車保険。

この際使おうかと思ったら、

保険代が上がるので、それを聞かれたら?と言われた。

帰って、保険会社に電話。

調べてかけ直します。

三頭級下がって、保険金の方がずっと高くなる。

免責は、ゼロにして、ある意味がない。

ディーラーに行くたびに、乗り換えを勧められて、

安全対策の一番良いのに乗りたい、と言つたり、免許返上も考えてる、とか。

 

車がない方が、歩いて健康に良いのじゃないか、と思ったりしていた。

安全対策では、これが一番、と紹介された車は、

テレビで、コマーシャルを見て、良いなあ、と思ってもの。

車庫入れも自動だという。

沢山のサポートがついている。

アメリカにいる息子に、この車、どう思う?とラインでメールしたら、ネットで調べてくれた。

良いんじゃないの。

一番高い機種を勧められた。

もうそれほど車に乗れないのだから、好きなのに乗れば?

以前から、レクサス買えば?と勧められてた。

わたしは、車は、足だと思っているから、

カッコいい車じゃなくても良い。

ただ、事故を起こしたくない。

そのためにやめようかと思ってるのだけど、

以前は、ほとんど乗らなかったのに、

アクアに変えてから、車を使うことが多くなつた。

やめたら、すごく不便よ、と経験者に言われると、

もうしばらく、安全対策がしっかりしている車に、

乗り換えようか。

防御対策に、お金かかることが、おろそかになっていた、新型コロナ感染。

車の安全対策にお金かけて、安心して乗れる対策を取る。

買い換えるがな。

コロナと共存

f:id:happyengel:20200509190235j:image

 

コロナとの戦いは、これからが本番。

皆、気が緩む頃だけど、

引き締めないと、再び感染が広がりかねない

明日の食べ物にも困る人達の為にも、家にいることのできる

人達は、家にとどまらっていなければ、コロナで生活破綻をする人が

増えていく。

今は、低い値が、毎日続いているけれど、このまま終息するとは誰も

思っていない。

吉村知事は、コロナを抑え込みながら、経済で、死ぬ人を救うために、

経済活動を、徐々に広げていこうとしている。

私は、その試みが軌道に乗ることを願う。

自粛は、続けなければならない。皆が出ていくと、たちまち、感染が広がるだろう。

会社に行かないといけない人。現場で働かざるを得ない人達を、支えるために、

当面のお金に困らない人達は、スティホームを続けること。

PCR検査を拡大して、抗体検査もできるようになって、

抗体がある人は、社会活動を始められる。

医療現場が余裕が有れば、感染者が出ても、パニックを起こさないので、

みだりに、感染して、ベッドを埋めることを避けるためにも。

あと一ヶ月、自粛解除になっても、食べるものがあり、お金が逼迫していない人は、

スティホームを続けることが必要だと思う。

経済活動に舵を切る、各国の足並みは、感染者を、再び増やすだろう。

日本は、両立を、うまくやっていって、スペイン風の時のように、第二次、第三次

のパンデミックを起こさず、うまくフェードアウトするように。

 

f:id:happyengel:20200508184038j:image

 

新しい靴を履く時、あらかじめ、試しておかないと不安なので、

家の近くを散歩して、長丁場に耐えられるか歩いてみた。

履きやすいかと思って買っても、1時間も履くと、

歩きづらくなる時が多かつた。

ミズノの.唯一、足に合う靴に巡りつてから、

ずっと、その靴一筋。

たまに、浮気して、かつこの良い靴を買ってみたりすると、メルカリのお世話になる。

フランスで、メフィストの靴を買って、

試し履きだとばかり、お店から履いて帰ったことがある。

オペラ座のあたりの店だった。

ルーブル美術館のあたりまで来ると、足が痛くなってきた。

豆ができているようで、それでも、セーヌ川に沿って歩く。

道が長く感じられる。

途中から、バスに乗って、着いた駅から、アパートまでの道が辛かった。

高いお金を出して買ったものだから、足の中を広げる型を買って、入れてみたり、近所の靴修理をやってるところで、広げてもらったり悪戦苦闘した挙句に、

メルカリに出した。

最終的に、5000円で買い手がついた。

日本で買えば、40000円はする。

バリで一度、神戸のオリエンタル劇場に、挑戦して、我が足には、耐えられず、二回履いただけ。

それでも、二回履いたから、まだ成績が良い方。

やはり、パリのアレージアという、場末の靴屋さんで買った靴は、一回目で、ギブアップ。

足幅の広い、どたぐつをはいて、店を覗いていたら、売り子から、

そんな不細工な靴は履いちゃダメ。

と勧められた。

足が狭くて、履けないと言うと、

いくらでも伸びるの。大丈夫。

こういうのを履かなくちゃ。

断れなくなって、というよりも、カッコいいわたしの足が欲しくて、買った。

足の細い、身体もスマートな友人にあげると、

すごく喜んでくれた。

帰って、お姉さんにみせると、

それ、高級品よ、と言われたそう。

アメリカでは、コールハーンの靴を、二足ほど、買って、人に履いてもらった。

高級な靴だから、といたく、喜ばれたのが、せめてもの収穫というところ。

最近では、トレーニングシューズで、失敗している。

ミズノの愛用靴は、まだ履けるうちに、新しいのを買っておく。

現在、まだ、二足、新しい靴がある。

今日は、履き慣らしに、散歩。

この靴に限っては、新品から履いても、大丈夫。

なんだけど、形がずっと同じなので、新鮮な気持ちは全くなくて。

普通は、新しい靴を履く時は、ワクワクするものだけど、

長年連れ添った、古女房か、旦那のように、

新鮮味がない。

慣れきって、空気のような存在なら、まだしも、

また、これか、なんて。

足を守ってくれて、感謝しないといけないのに。

安倍総理のリーダー欠如

 

f:id:happyengel:20200508125957j:image

安倍総理が、ここまで、トップダウンの決定力を発揮できないのは、法律の規制だけではないと思う。

政権が長く続いて、緊張がなくなったということも言えるかもしれないが、

誰も言及しないことなのだけど、

森友学園疑惑がから始まり、獣医大学建設疑惑で、

責任逃れをする安倍総理に対する、権力と信頼が、自民党内部で、完全に失われている、ということがあるのではないかと思う。

安倍総理を支えてきた、プレーンや、官僚も、都合の良い飾り物として、扱かうようになつた。

安倍総理の汚点をカバーしたことで、安倍総理の求心力も失くしている。

弱みを握られた、リーダーは、自ら、即刻やめるべきなのだが、それを求めない自民党の議員達は、同じ穴のムジナなのだ。

国民の声で、後押しされて、重い腰を上げ出したのは、このままで行けば、自分たちの首がかかってくるから。

野党が出す案を、取り上げず、あくまでも、与党の決定案にこだわる。

国の圧力で、ジャーナリズムの正当性が、歪められ、自由にものがいえなかった、表向きのメディアには、良い傾向が生まれている。

不甲斐ない野党は、国民のニーズにあった、賢明な提案を出して、政府を突き上げる、チャンス到来。

小沢さんは、交代可能な、2大政党を目指して、潰されたのは、綺麗事だけで、行動力の伴わない、頭でっかちな議員のより集まりで、

自らの墓穴を掘って、内部闘争と能力の欠如を露呈してしまったからだ。

国民の失望の激しさが、与党にまた、流れた。

与党は賢い。

かばい合って、団結力が硬い。

政治が悪化していったにもかかわらず、

内部崩壊が起こっていても、表面化するのは、

政治が停滞して動かないことが表面化するだけ。

内部留保の最も顕著な例が、自民党政権に見られる。

満開のツツジ

 

f:id:happyengel:20200506163237j:image

 

どう表現したら良いのだろう。

満開のツツジ。

花の絨毯のように、白と紅色のコントラストが美しく、

散歩の足を止める。

ふりだすかな、と心配になるどんよりと曇った空。

光が一杯ある時の、暑苦しさがなく、沈んだように見える紅色が美しい。

よく見ると、白と紅色が混ざった、ツツシもある。

ピンクと紅色の花も。

f:id:happyengel:20200506163650j:image

 

マスクをしていても、花の香りが伝わってくる。

ツツジは、子供の頃、好きな花じゃなかった。

今年、御崎公園が閉館して、惜しむ人々が、

訪れる風景がテレビに。

子供の頃、御崎公園に連れて行ってもらった思い出が蘇る。

ツツジが満開の頃だった。

母方の祖母と叔父、叔母、そして母と3人の子供。

父はいなかった。

祖母も叔父も叔母も、この世にいない。

祖母の一生は、辛いことなの絶えなかったものだったけど、優しくて明るかった。

祖母が沢山のおにぎりを作ってくれて、お花見弁当。

あの時の、笑い転げる、笑顔が浮かぶ。

懐かしさが、胸を熱くした。

雨はまだ降らない。

風が強いのが、歩いていると気持ちいい。

その道を通ると、必ず、うくいすのなきこえがする。

何回が、聴こえて、とこにいるのだろうと、声のするあたりを眺めていると、ピタッとやむ。

向こうからは見えているのかしら。

散歩に出てくるまでは、腰が重いけれど、

歩いているうちに、身体が温まって、身体の痛かったところが、いつのまにか消えている。

 

 

 

 

 

 

レッスンがお休み

f:id:happyengel:20200506125751j:image

 

電話がかかってきた。

ピアノ教室の先生から。

今月、二回あるレッスンが、緊急事態宣言の延長で、

休みになるという、お知らせ。

嬉しさと、落胆が混在している。

ピアノの稽古は、目標があるわけじゃない。

手先を使って、頭の健康になるという理由で、

やっている。

30年ぶりに、調律してもらったのが後押しになった。

持ち腐れになるのが勿体なくて。

最初は簡単なところから入り、楽しかった。

一年以上続けていると、難しくなってきて、

練習不足が、徐々に蓄積して、思うように弾けないと、

億劫さを増し、練習がいい加減になるという、悪循環。

毎日、僅かでも弾いていなければ、落ちる一方なので、

月に二回でも、テェック機能が働くと、続けられている。

目標がなく、自立的に、何かに励むことの難しさ。

 

 

ウイーンフィルの、主席バイオリン奏者の、

樫本大進。

私は、大ちゃん、と勝手に、親しみを感じている。

子供の頃から、見ているから。

 

彼は、音楽がなければ、生きていけない、と思っていた。

コロナで、演奏会がなくなり、家で子供たちと暮らしていると、

音楽よりも、もっと大事なことがあることに気づかされた。

音楽の無力を感じた。

以前は、演奏会のために、毎日、練習しなければ、といけない、という

義務感に追われて、練習し、コンサートで演奏してきた。

しばらく離れていると、弾きたい、自分のために弾きたいという気持ちが

溢れてきた。

、病院で死にかけている人、心が折れそうな人に、今、

最も必要なのは音楽だと、自分の心を通して、

認識した、と語っている。

 

音楽を止められて、演奏の場を失って、

家族との生活の大切さ、楽しさを発見し、

その上、音楽が、自分の心を豊かにすることにも

気づき、音楽を求めている、たくさんの苦しんでいる

人達がいること、音楽の力と価値を認識できたということ。

 

コロナがもたらしているのは、私たちを試す、神の試練

なのでは?

100年前の、スペイン風で、日本人の人口の50%が感染し、多くの死者を

出した。

サウズやマウスで、日本がウイルスの怖さを体験していなかったから、

備がなく、CPRの検査体制が極端に軟弱で、危機管理体制が

整ってなかった、というのだけど、

根本にあるのは、医療費の削減、ベッド数の減少、採算重視で、

安い労働力を追求してきたこと、にある。

安く抑える、お金を出さない、という政府の目標は、変わっていない。

後手に回り、自分たちの首が問題になりそうだ、ということになれば、

渋々やる。

コロナが、そういう無能で、自分の利益しか考えない人を明かにしている。

そのことが、未来に、国民がより賢くなり、国民の代表にふさわしい人物を

選ぶことになれば、より良い社会が生まれる。

 

 

神は越えられない試練を与えない。

 

試練が、人間をより豊かにしていく。

練習なくして、本当の喜びと楽しさを伴った、成果がない。

 

 

 

 

 

コロナがもたらすもの

 

f:id:happyengel:20200505121938j:image

 

新型コロナが、今まで、当たり前だった生活を変え始めている。

店が立ち行かなくなって、廃棄を決めた、お店が増えている。

味の名店がなくなるのを惜しむ人人。

やむなく、店をたたむことを決心した店主。

テレビをみていると、毎日、胸が詰まり、涙が絶えないのだけれど。

だけど、コロナの影響が全て悪いわけじゃないと思う。

それらの名店と呼ばれたお店をやってきた人達は、

お客さんを大事にして、安価で良質なものを提供してきた人が多い。

老舗と慕われたお店は、高齢になり、身体も酷使しながら、いつ辞めるか、と思案しながら、頑張ってこられた人も多い。

店を開けている間は、死ぬまで、これをやらないといけない、という使命感に支えられて、毎日頑張ってきた。

お客さんのことを思うと、利益も出来るだけ取らないで、安く設定しながらやってきた。

コロナで、客が急激に減り、堪えきれなくなって、

店を閉める決断をしたと思う。

わたしは、それが、新しい生活を選択する勇気をもたらしていることで、

コロナが、後押ししているように思う。

火中にいると、自分を犠牲にしてまで、やり続けようと思う。

決断を促す機会が、未来を開ける助けにもなるだろう。

頑張ってきた人は、へこたれることなく、

予想していなかった、新しい生活に踏み出していけるものだとわたしは信じている。

変わらないものは、何もない。

コロナが、自由をもたらし、より豊かな生活に送り出す助けにもなりうるということ。

 

歌舞伎座の前にある、お弁当屋さんが、長年親しまれてきたお店を閉めた。

わたしも、歌舞伎座に行くと、必ずその店のお弁当を買った。

値段が安くて、味が良い。

沢山のファンがいた。

コロナが、お店を閉める決心を促したのだけど、

新しい生活で、お弁当作りだけじゃなく、きっと素敵な生活も開けると思う。

客はそのお弁当が食べられないことを寂しく思うけれど、大変な労働と犠牲が見えてきなかった。

そういう名店の味は、味わった人に、残り続けるだろう。

時間

f:id:happyengel:20200504115118j:image

 

筋トレを始めて、5月で2年になる。

月日の経つのがあっという間なのに、

筋トレに関しては、まだ2年、という感覚。

時間は、その人の体内時計で長さが違う。

筋トレは、やり出したら、モチベーションが上がって、

もっとやりたいという意欲が湧くのだけれど、

やる前は、それほど意欲が湧かない。

アドレナリンが出て、やる気を高める。

筋トレをやるようになって、筋肉痛は、いつもつきもの。

朝起きると、身体が硬直して、動かしているうちに、軽くなる、

という毎日。

辛い、苦痛の伴う時間は、長く感じるものだと思う。

勉強時間、病院や、受付で待たされていると思う時間。

明日の生活をどうしようか、とやりくりに明け暮れている時間。

長いトンネルを、いつ抜けられるのかもわからない不安の中で、

1日、1日が、とてつもなく長いだろう。

だけど、振り返ってみれば、それらは、甘く切なく、美しい時間

に思える。

よくやったな、と自分を誇らしく、良い時間だった、幸せだった、と

思える時間。

時間を育てるということも言える。

長く感じられる時間の方が、充実して価値のある時間になる。

年がいくと、時間の速さは、加速度を上げるように増していく。

何もしないのに、日が暮れる。

勿体無い。

金銭だけが、無駄使いのバロメーターじゃない。

時間の無駄使いは、一番勿体無いかもしれない。

喜びは、痛みや、努力を積み重み重ねて、より価値を生み出し、

その人を豊かにするような気がする。

 

新型コロナとの戦いで、辛い思いをしながら、

死ぬことを考えないで、やれるところまで、

なんとか歯を食いしばって、頑張っていこう、

という、希望を捨てない限り、

後になって、素晴らしい体験をした。それを切り抜けた自分

を誇らしく、自信もつき、新たなチャレンジに立ち向かえる力

を蓄えている自分に幸福をもたらすに違いないと私は思う。

 

時間は、正確な科学的な長さだけど、

人の使い方によって、無限の可能性の違いがあると、

思う。

 

 

我慢ではなく

f:id:happyengel:20200502173143j:image

 

自粛要請が、一ヶ月延びるよう。

期限を区切られて、我慢してきた人達

は、まだ我慢しなくてはいけないのかと思うと、

琴線が切れそうに思う人も多いと思う。

政府の不甲斐なさ、対応の遅さにも、うんざり

しているけれど、

視点を変えて、命を守るために、私たちが出来ることを

しよう、と言う観点に立てば、苦痛ではなくなるだろう。

不眠不休で、前線で働いている人達に、思いを寄せれば、

コロナを拡散させないように、自ら積極的にすべきことは、

出来るだけ家にいることだと理解できるはず。

我慢は、強制されているという意識が与える苦痛なのだ。

政治がすべきは、国民の生活と命を。

守ることなのだが、そのどちらも、欠如した状態が続いている。

PCR検査装置を増やし、人工呼吸機器を増やし、医療体制を早急に

増やすことが必要なのに、それができないでいるのは政府の怠慢。

困っている人達を経済的に救済するのは、政府の仕事だが、その怠慢。

政治が国民に向けられず、自分達の身を守ることが大事だということが

可視化できたのは、コロナの効用かもしれない。

じゃ、今まで国民は何をしてきたのか?

選挙は何のためにあるのか。

自分達が選び、託した人達ではないか?

選挙はお金がかかるというのが現実。

支持者にお金をばら撒き、支持者は、自分達の利益をあてにして、

選出。

全て、自分達の利権のため。何をしてもらえるか、という依存型。

国民の意識も問題で、依存型の社会が見える。

備えあれば憂いなし、なのだけど、その逆の現実も、可視化された。

 

新型コロナウイルスの原因は、科学的に、

人類が自然の体系秩序を破壊し、野生動物の生態系にまで、進出したために、

発生したというのが正しい見解なのに、

トランプ大統領は、中国の武漢研究所から漏れた、と中国に責任だと非難する。

 

世界の国が、ウイルスという見えない敵に向かって、協力し、各国の持てる英知を

共有して、助けあって、乗り越えていかなければ、この地球に人類が生きていくことは

難しい。

各国が、他国を非難していると、ウイルスが仕掛けた戦争で、互いに殺し合う結果になり、

絶滅へと向かっていくだろう。

 

押し付けられるのではなく、私たちが作り出した、脅威的危機を

克服できるのは、私達自身。競争ではなく、協調して、

何をしてもらうかじやなく、自分に出来ることを、ポジティブな気持ちで

やっていけば、自主的に自粛が続けられると思う。

 

 

 

リーダー

f:id:happyengel:20200501183721j:image

大阪府の吉村知事の的確な決定と決断力、実行力

は、リーダーの役割のあるべき姿を見せてくれる。

頼もしい、頼られるリーダー。

信頼できるから、府民は、自主的に従いたい、応援したいと思う。

こんなに見えるか?

と思われるくらい、同じ知事でも、違いが見えて、

兵庫に住むわたしは、情けない。

言葉は、言霊と言われる。

魂のこもった言葉は、人の心にストレートに入り、

言葉によって。信頼関係が生まれる。

人ごとにしか聞こえない言葉は、虚しく通り過ぎる。

国のリーダーであるはずの総理の言葉は、空虚。

こんなに長く、政権が維持されてきたのは、

裸の王様を取り巻く、権力を貪るプレーンにとって、扱いやすく、毒にも、薬にもならなかったからしやないか、と思われる。

吉村知事は、橋本さんが能力を買って、後を委ねた人。

橋下さんは、有能な知事で、どうしようもなかった、悪しき権力の温床になつていた大阪を建て直し、赤字から、黒字に転換させたが、

利権を奪われる人達の反感を買い、叩かれた。

政権が常に緊張感を生み、より良い政治を競いあある、2大政党を目指し、地方に財源も自治権も委ねることを主張した、

小沢さんも、潰された。

小沢さんにアレルギーを持つ、頭でっかちのエリートを称する議員達に。

 

自民党の総裁選で、わたしは石破さんに期待していたけれど、地方票は、多かったのに、国会議員の票で、負けた。

報道7.30に出演していた石破さんの意見は、どれも納得のいくもので、信頼できる政治家が、与党にいるのだと期待したいけれど、権力を持たない石破さんは、安倍政権から、干された状態。

 

コロナ危機が、悪いことだけではなく、

政治家の、本当の姿をさらけ出す羽目になって、有能な人と無能な人、

信頼に値する人と、そうでない人がはっきり見えるようになっ。

橋下さんは、

今は、バリバリの共産主義だ、と宣言している。

国が倒れようとも、国民を救済することが大事。

それがリーダーの仕事だ。

自由主義が機能していない、戦時なのだ。

石破さんが、橋下さんのように、実行力のある人かどうかは、まだわからない。

正論を言っていても、有言実行でければ、

自分の身を顧みず、国民の命と安全を守る、

リーダーとして、信頼を託すことができるかどうかどうか。