電話がかかってきた。
ピアノ教室の先生から。
今月、二回あるレッスンが、緊急事態宣言の延長で、
休みになるという、お知らせ。
嬉しさと、落胆が混在している。
ピアノの稽古は、目標があるわけじゃない。
手先を使って、頭の健康になるという理由で、
やっている。
30年ぶりに、調律してもらったのが後押しになった。
持ち腐れになるのが勿体なくて。
最初は簡単なところから入り、楽しかった。
一年以上続けていると、難しくなってきて、
練習不足が、徐々に蓄積して、思うように弾けないと、
億劫さを増し、練習がいい加減になるという、悪循環。
毎日、僅かでも弾いていなければ、落ちる一方なので、
月に二回でも、テェック機能が働くと、続けられている。
目標がなく、自立的に、何かに励むことの難しさ。
ウイーンフィルの、主席バイオリン奏者の、
樫本大進。
私は、大ちゃん、と勝手に、親しみを感じている。
子供の頃から、見ているから。
彼は、音楽がなければ、生きていけない、と思っていた。
コロナで、演奏会がなくなり、家で子供たちと暮らしていると、
音楽よりも、もっと大事なことがあることに気づかされた。
音楽の無力を感じた。
以前は、演奏会のために、毎日、練習しなければ、といけない、という
義務感に追われて、練習し、コンサートで演奏してきた。
しばらく離れていると、弾きたい、自分のために弾きたいという気持ちが
溢れてきた。
、病院で死にかけている人、心が折れそうな人に、今、
最も必要なのは音楽だと、自分の心を通して、
認識した、と語っている。
音楽を止められて、演奏の場を失って、
家族との生活の大切さ、楽しさを発見し、
その上、音楽が、自分の心を豊かにすることにも
気づき、音楽を求めている、たくさんの苦しんでいる
人達がいること、音楽の力と価値を認識できたということ。
コロナがもたらしているのは、私たちを試す、神の試練
なのでは?
100年前の、スペイン風で、日本人の人口の50%が感染し、多くの死者を
出した。
サウズやマウスで、日本がウイルスの怖さを体験していなかったから、
備がなく、CPRの検査体制が極端に軟弱で、危機管理体制が
整ってなかった、というのだけど、
根本にあるのは、医療費の削減、ベッド数の減少、採算重視で、
安い労働力を追求してきたこと、にある。
安く抑える、お金を出さない、という政府の目標は、変わっていない。
後手に回り、自分たちの首が問題になりそうだ、ということになれば、
渋々やる。
コロナが、そういう無能で、自分の利益しか考えない人を明かにしている。
そのことが、未来に、国民がより賢くなり、国民の代表にふさわしい人物を
選ぶことになれば、より良い社会が生まれる。
神は越えられない試練を与えない。
試練が、人間をより豊かにしていく。
練習なくして、本当の喜びと楽しさを伴った、成果がない。