筋トレを始めて、5月で2年になる。
月日の経つのがあっという間なのに、
筋トレに関しては、まだ2年、という感覚。
時間は、その人の体内時計で長さが違う。
筋トレは、やり出したら、モチベーションが上がって、
もっとやりたいという意欲が湧くのだけれど、
やる前は、それほど意欲が湧かない。
アドレナリンが出て、やる気を高める。
筋トレをやるようになって、筋肉痛は、いつもつきもの。
朝起きると、身体が硬直して、動かしているうちに、軽くなる、
という毎日。
辛い、苦痛の伴う時間は、長く感じるものだと思う。
勉強時間、病院や、受付で待たされていると思う時間。
明日の生活をどうしようか、とやりくりに明け暮れている時間。
長いトンネルを、いつ抜けられるのかもわからない不安の中で、
1日、1日が、とてつもなく長いだろう。
だけど、振り返ってみれば、それらは、甘く切なく、美しい時間
に思える。
よくやったな、と自分を誇らしく、良い時間だった、幸せだった、と
思える時間。
時間を育てるということも言える。
長く感じられる時間の方が、充実して価値のある時間になる。
年がいくと、時間の速さは、加速度を上げるように増していく。
何もしないのに、日が暮れる。
勿体無い。
金銭だけが、無駄使いのバロメーターじゃない。
時間の無駄使いは、一番勿体無いかもしれない。
喜びは、痛みや、努力を積み重み重ねて、より価値を生み出し、
その人を豊かにするような気がする。
新型コロナとの戦いで、辛い思いをしながら、
死ぬことを考えないで、やれるところまで、
なんとか歯を食いしばって、頑張っていこう、
という、希望を捨てない限り、
後になって、素晴らしい体験をした。それを切り抜けた自分
を誇らしく、自信もつき、新たなチャレンジに立ち向かえる力
を蓄えている自分に幸福をもたらすに違いないと私は思う。
時間は、正確な科学的な長さだけど、
人の使い方によって、無限の可能性の違いがあると、
思う。