青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

宝塚混声合唱団音楽会

 

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近所の肩にチケットを頂いて、いたみホールに出かけた。

昨年、チケットが完売だったとかで、一度聴きに行きたいと言っていたのを忘れずに、ポストの中にチケットが入っていた。

 

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合唱団を指導している、畑先生が、素晴らしい先生だと褒めて、褒めて、大変だったので、一度拝見したかもあって。

女性にものすごくモテたのは、若かりし頃の話、今はそれほどでもないとか。

声が良くて、歌ったら、皆惚れ惚れと聞かせてもらい、3時間の練習も、全然退屈しないそう。

確かに、説明される声が良い。

指揮は、情熱的。

 

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背も高く、なるほど、若い時は、と想像される。

曲は、ブラームスの、ネーニエ。哀悼歌。

女性の方がはるかに多い。男性陣は、高齢者がほとんど。

女性は比較的若い人もちらほら。

会場は、ほぼ満席。

ゲストに迎えたソプラノ歌手の、辻井亜季穂さんが、とても良い声で上手だつた。

 

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ドイツ、ブエルツブルグ歌劇場の専属歌手だそう。

フェスティバルホールで、来年のお正月に、高名なテノールとの共演が決まっている。

一番安い席で、12000円。残っているのは26000円以上の席で、三階の後ろ。40000円が最高額。

行きたいけど、やめた。

いたみホールは、新しく建て直して、華麗なホールだつた。

阪急伊丹から、歩いてすぐなので、炎天下助かった。

駅に戻って、イカリがあるので、私は塚口と勘違いしてしまった。

広くて品物が豊富なので、塚口の本店かと思ってしまった。

塚口には、三階に音楽ホールがあつて、山口百恵の息子さんが、時々コンサートをすると聞いていた。

オペラの会も年に一度。

お料理とワインが沢山出るそうで、興味があればと言われたことがある。

二万円は、私には贅沢だし、そういうところは苦手。

イカリのお客様ばかりだろう。

コーラスに入らないかと誘ってくださるけれど、

二時間近く、壇上の、平均台を太くしたようなところに立っていると、体力的にも自信がないし、めまいしそう。何よりも喉がもたない。

良く頑張られるなあと、感心するばかり。

終わってロビーに出演者達が出て来て、知り合いや家族と談笑している。

 

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白と黒に統一した衣装を着て、晴れの舞台が終わって、興奮冷めやらずといった感じ。

チケットを頂いた方をしばらく探していたが、出てこられなくて。

コナミが終わってから、夜9時ごろなら帰っておられるかと、ちょっとしたものを差し入れがわりに持って行ったら、まだ、電気が薄暗くて、帰っておられない様子。

10時を過ぎて、おでんわしたら、すっと話し中。

お友達からの電話だろう。

翌朝行くと、打ち上げのパーティがあったらしい。

そうだよね。

一年間練習を続けて、達成した喜びに浸る、華やかで貴重な時間。

ても、本当に皆様、お元気。

 

 

トランプ大統領、辞任してください。

 

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アメリカの恥は、あなたが大統領に居座り続ける限り、消えることはありません。

あなたの言葉は、ジョークでは片付けられない。

致命的な、差別発言は、なかったことにすることは出来ません。

即刻辞任してください。

あなたが大統領として居座る限り、アメリカの良心は地に堕ちた状態のまま。

あなたが居座り続けるなら、国民から選ばれた議員が、議会で、あなたをやめさせなければ、

アメリカはやはり、地に堕ちたまま。

もう、これ以上耐えられないし、許せない。

すぐに、自ら辞任してください。

あなたの発言を、議会が容認するとしたら、アメリカは、北朝鮮と同じです。

あなたが辞めて、愛を学んだ大統領を選出できたら、

いがみあいから、友好へ

差別から、差異へ

暴力から会話へ

互いの立場を理解しようという努力が、

戦争の脅威を、平和的な安心への、

希望が生まれるでしょう。

あなたが大統領として居座る限り、

衝突は増大し、憎しみを生み、

暗黒の中で、希望を見出すことは出来ません。

ボランティア

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ベンツがいつもなかったのは、車をやめたからだった。

昨日、一日中家にいて、コナミも休みだったので、

思い切って、歩いて、友人のお宅まで、お供えを持って行ってみたら、

姪御さんが仕事から帰って来られ、車を停められたので、思い切って

聞いてみた。

友人が元気だったら良いのだけど、入院でもしていたら、と気になっていた。

忙しく準備中で、毎晩遅いのだとか。

車をやめて、歩いて駅まで出ているという。

帰りは遅くなるのでタクシー。

安心した。友人にとても良く似た顔立ち。不思議。

ご主人の姪だと思っていたから。

夜遅く、友人から電話があった。

ご主人に買ってもらった思い出のベンツだけど、検査受けと同時に、やめたという。

一人で使うには贅沢だし、歩くようになるから。

ゴルフをやめたとも聞いていた。

処分する気になって偉いなあと思った。

不便な場所だから。

友人が忙しいのは、ボランティアに参加しているからだった。

 

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演劇集団に入って2年になるという。

老人ホームをたづねて、公演したり、今年の夏は子供達が主役で、裏方の仕事もたくさんある。

衣装から全て手作り。

持ち寄りの着物を仕立て直す作業もしている。

友人は、子供劇団に所属していた。

今また、ボランティアの演劇集団で、自分の好きな生き方を見つけている。

映画は月に何本もみている。歌舞伎映画も、月一で見に行く。

コンサートは近くのホールに。

青春を取り返すかのように、時間を惜しんで活動するようになった。

ご主人が亡くなられて、家に篭り、人と顔を合わせるのも嫌で、引きこもっていた。

鬱状態で泣いてばかりいると言っていた人が、見事な変身を果たしている。

一人では暮らせなくて、北海道にいた姪に同居してもらった。

似ているのはそのはず。

友人の血縁の姪だった。幼い時から良く来て、養女にしようかと言っていたときいていたので、てっきりご主人の姪御さんだと思い込んでいた。

友人のお母さんも呼び寄せて同居していたので、友人の家族の面倒まで見られていた、優しいご主人だった。

友人に何から何まで甘えている老人だと思っていたのだが、逆だった。

親子ほど年の離れたご主人で、靴下まで履かせると言ってたので、ワンマンで難しいご主人に、良く支えていると思っていたが、違っていた。

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優しくて、体力も旺盛で、いつまでも友人を守って長生きすると言っておられたとか。

家の耐震を兼ねて、大金をかけて改築したばかりで、亡くなられた。

そうでなかったら、駅に近いマンションに引っ越すところだけど、思い出が詰まっている家だから。

姪御さんは看護婦さんだから、安心。

癌や、長年のリウマチも克服して、ボランティア活動で、好きな演劇に活路を見出した。

筋肉は50歳。骨は、120パーセント。体内年齢は48歳だ、と。

長年ゴルフをやっていたから、足は健脚だし、病気のご主人の介護で、身体を使っていたから。

演劇は、体力のいる作業。

車を捨てて、歩いているのも貢献している。

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私も、見習って、何かやらなければ。

社会参加をしないと、認知症になりやすいとテレビで言っていた。

人と会って、話をしないとダメなんだとか。

家に篭ると、どこにも行きたくなくなって、テレビばかり見ている。

友人のブログで、精力的に片付け整理しているのを見て、書類を整理しだしたら、

たちまち疲れて、ソファに沈む。

悪循環だなあ。

ボランティア、やりたいことあっても、時間の束縛は耐えられない。

都合良いボランティアなんてない。

 

 

 

 

お供え

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隣接した、分譲地にいる友人のお宅に、何度も通っている。

車だから、大変じゃないけど、歩くと心臓破りものの坂道をアップダウン。

2年くらい前にご主人が亡くなって、ご主人の姪御さんが一緒に暮らしている。

お盆だから、お供えを買って持って行ったら、留守だった。

以後、行っても留守。

お盆は過ぎてしまっている。

今朝も行ってみたら、やはりお留守。

三年になるかも。

旅行しておられるのかもしれない。

 

車の中から、歩いている人が見える。

バス停を降りて、買い物を両手に持ち、ゆっくり歩いている女性は高齢者のように見える。

分譲地ができたのは、私が住んでいる所よりも以前で、山を切り開いてできた、奥地。

山崩れがあると、真っ先に影響を受けそうな、切りだった山がそびえている。

うちもそうだけど、この辺はもっとシビアで、売れないだろうなと思う。

 

山だった所をどんどん切り崩して、分譲地ができた。

今、山に戻りつつある分譲地もあるとか。

 

見晴らしが良くて、環境は抜群だった。

車がなければ生活できなかった。

やがて、バスが走るようになって、南に開けた場所を分譲した。

その頃、良い場所を買うために、あの手この手で大変だった。

取り残されたように、ひっそりと、緑だけは濃い奥地の分譲地は、

敷地は広めに取っているおで、別荘地のような雰囲気が漂う。

人だけが老いて行く。

 

 

 

 

キスミーケート、西宮芸術センター

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西宮芸術センターで、13日までやつている、キスミーケート、という、ミュージカルを観ました。

松平健と一路真輝、の主演で、川崎麻世、も出ていました。

他の人は、ほとんど知らない人ばかり。

後でわかったのは、スギちゃんこと、杉山英司。

中ホールで、席は前から10番目。

皆マイクをつけているので、音響はガンガン。

みなさん、一生懸命舞台を勤めているのは伝わるのですが、物足りなく、退屈しました。

当日券も残っているようです,,

A席が6000円なので、ミュージカルとしては、安いのです。

 

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終わって、そじ坊、で、本格ワサビ付きの、ざるそばをいただきました。

蕎麦は、ざるがいちばん美味しい。シンプルで、蕎麦そのものの味と、ツユの美味しさがわかります。

中途半端な時間でもいり、これくらいが丁度良い。

 

母の笑顔

 

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母が、歯を見せて笑った。

心から楽しそうに笑っている。

妹と久しぶりに、母の施設で待ち合わせた。

私と妹が、久しぶりに会ったので、母を囲んで二人が話をしていたら、

母も、会話に加わるように、言葉を発して、話し始めた。

顔は満面の笑顔。

いつもは口を噤んで、食べてもらうのに、口を開けるタイミングが難しくなっている母が、

歯を見せて笑ってくれた。

妹も、見たことのないという笑顔。

朝だからなのか、話し声で、娘達と一緒にいることを理解しているのか。

嬉しかった。

こんな笑顔を忘れていないのだ。

施設の職員に帰りがけ、母がよく笑って、話をしたというと、

朝食も、良く食べたとのこと。

母の体調も良かったよう。

老人の体調は めまぐるしく変化する。

時折、熱が出て、寝込むと、もうダメかなと不安になる。

二、三日寝込んで、再び起きて食事もダイニングで取れるようになると、

まだまだ、大丈夫、と楽観視したくなる。

今日は、お盆のお供えを持って、お参りに行く予定で、妹と待ち合わせをしていた。

昼食時に、施設を出て、すぐ近くに住む、弟に家に行き、久しぶりに、弟のお嫁さんと3人、話の花が咲いて 長居をさせて  もらった。

楽しかった。

 

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梅田に出て、妹と遅いランチは、軽いものが良いというので、お蕎麦。

夕食が近い時間だったから。

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私の心配性に反して、妹には、母はまだまだ元気で長生きするように映っている。

そう言われると、気が楽になる。

最近では、母の体調を見ては、ネットで調べたり。

認知症の末期の症状だとか、末期ではどれくらい生きられるだろうか、とか。

友人のお母さんが亡くなられて、どれだけ悲しいだろうか、と私は自分の場合を想像して

訊ねるのだけど、全く悲しくない、と言う答えが帰ってきたりする。

あまり訪ねて行かなかった人は、それほどの実感も持たないよう。

訪ねて、嫌な顔されると、それが足を遠のかせる。行かないから、忘れられると言う悪循環。

でも、そう言う疎外感が、悲しみも薄れさせる。

私は、母の笑顔を見ることが目的のように、母の施設に通っている。

笑顔のない時の辛さと、母が笑ってくれる時の幸せ。

母は私の生き甲斐になっていることが自覚される。

母の死は、想像しては みるものの、到底耐えられそうにない。

笑顔があるから、耐えられそうにない。

母の小さな肩を抱くように、母の胸に顔をつけ、私は、母の

に抱かれている。優しい母の手が私を包む。

 

 

 

 

卵とコレステロール

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卵は、コレステロールが高いので、1日一個までしか食べちゃいけないと思っていた。

昨夜、猿之助が出ているので、思わず 見てしまった番組。

本当はどっちが正しいのかを判定する。

猿之助は、素顔が可愛くてとても素敵。

頭も良くて、勉強家だけど、気取りが なくて、感じが良い。

長生きしたい、110歳くらいまで生きたいのだそう。

誰でも、健康で長生きしたい。

卵は、日に3,四個まで食べても良い。コレステロールの数値とは関係ない。卵は、糖尿病の人には

とても良い。糖分がないから。

昔から、病には、滋養栄養のある卵が重宝されていた。

お肉、特に豚肉を、トンカツにして食べるのが良いらしい。

それから毎日、アイスクリーム。

どれも、控えてたものばかり。

 

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卵もトンカツも、アイスクリームも、大好きなものばかり。

パンよりもご飯の方が長生き出来る。

咀嚼に良いから。

誤嚥性肺炎肺炎を防ぐには、咀嚼が一役買っている。咀嚼が良く出来るためには、踏ん張る力が必要。

歩けなくなると、噛む力も弱くなる。

 認知症予防にためにも、これらは有効だそう。

、ご飯が良いというので、朝はご飯に変えようかしら。

熱々のご飯に、卵かけ。

納豆を卵に溶いて ご飯かけ。

気にしないで卵が食べられたら、お好み焼きや、明石焼き。

フランスのアンボワーズという、お城のある小さな街で、フランス語の短期留学で、30日間滞在したことがあった。

ホームステイを選んだ。

私の他に、スイスから参加した男の人が、その家でお世話になった。

出てくる食事が、毎日、卵とサラダばかり。

子供たちが出て行き、夫婦だけのお宅で、ご夫婦共にスリムで、健康オタク。ランニングを欠かさない。

卵をこんなに沢山食べたら、コレステロールが気になって、聞いて見たら、

日に、2,三個の卵は大丈夫、多すぎないといわれた。

ゆで卵がほとんどで、簡単だから、料理しなくて良いからだろうと思っていた。

昨夜の番組で、卵を沢山食べている人は、頭もクリアで、長寿で健康だとわかった。

卵とコレステロールの関係を検査した結果、体内に入ると、関係なくなるのだとか。

コレステロールは脳作用の影響が大きいそうで、だからストレスが一番関係している。

私のコレステロール値は、心配性に由来しているのだろう。

この前も、歯医者で言われた。

先の心配しなくて良い、と。

なるようにしかならないと、どんと構えていたら、コレステロールも、動脈硬化の心配も

ないのだろう。

コレステロールの心配をするという、心配が悪玉コレステロールを増大させる。

薬の効果は、飲んでいるという安心感の方が大きい、ということなのかも。

 

 

玉三郎の八千代座

 

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八千代座は、玉三郎にとって、我が家のような芝居小屋で、廃屋になっていた、八千代座を蘇らせた。

八千代座実行委員会の人たちは、玉三郎の家族のように、 公演のお世話をしている。

昨年は、先行申し込みの期間が過ぎてしまって、ヤフーのオークションに出ていたものが手に入ったので行けたので、今年は案内が来ないかもしれないと思っていたけれど、玉三郎の直筆のコピーで、丁寧なお手紙を添えて、案内が届いた。

 

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体力的に封印されていた、京鹿の子娘道成寺と、鷺娘を、映像を使って、玉三郎の踊りを入れて、解説するという形なら、出来ると考えて、いつもは一回のところ、今年は、昼夜、二回公演。

どちらかの舞台を見る人もいるので、口上は、どちらにも。

京鹿の子娘道成寺は、激しい踊りなので、玉三郎は、二人娘道成寺とか、五人でとかで、踊っている。

八千代座では、玉三郎の一人舞台で、20分ほどの踊りの合間に長い休憩を挟んで、2つ踊るというのが、これまでのパターンだった。

遠くから新幹線や飛行機を使って、日帰りで来ていた人たちには、きついスケジュール。

送迎のバスの手配は、朝早く、帰りは遅い時間の設定。

私はいつも熊本に二泊して、玉手から無料のバスに乗せてもらっていたので、熊本に二泊すれば、二回公演を1日で観ることができるのだけど、今年は、八千代座の近くに宿をとって、午後の部と翌朝、午前の部を観て、帰ってこようかと考えたり。

先行予約なので、座席の希望はリクエスト出来るけれど、あてがわれる席はお任せ。

からない。

10月の31日から、11月の5日まで。

5日は昼の部だけ。

 

SS席12000円、S席10000円、A席8000円。

玉三郎の舞台としては、安い設定になつている。

通しは、1000円引き。

山鹿は、のどかな里山。玉三郎は、温泉にひたって、英気を養う故郷。山鹿の人たちは、家族のよう。

 

今年で27年目だそう。

 

 

広島、我が愛、hirosima mon amour

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CSの映画放送で、「hirosima mon amur」を観ました。

マルグリット デュラスが脚本を担当、アランレネのデビュー作。

今日、広島の原爆記念日に、ふさわしい作品だと思って、取り上げました。

この映画は、一般上映向きではないと、当時は不評だったようですが、キネマでは高く評価されていました。

フランスでも関心は少なかったようですが、その後、この映画の価値は再評価され、

今は、各国で上映され、人々の共感を得るようになっているようです。

昭和58年の広島での、互いに傷を持つ男女の、「二十4時間の情事」という、日本名で当事は、上映されました。

今は 原名をそのまま翻訳した「広島、我が愛」に変えています。

 

ノーモア、広島。

もう二度と広島に落とされた原爆を許してはいけない、と戦後の日本人は、長く叫び続けてきたのですが、いつの間にか、その痛みを忘れ、他人事の苦しみを無視するようになり、核に守られているからと、アメリカと同調して、核廃絶会に参加もやめて、核禁止に賛成しない恥ずかしい状況。

世界で核廃絶を訴えて、平和を守ろうとする国々に顔向け出来ない政府です。

国民も、暗黙のうちに承知してはいないだろうか?

北の核脅威に、対抗して、核を 持つべきだという意見まで。

共謀罪は、警察の権力を増大させ、人々の自由を奪い取り、戦争中の憲兵のような特権を復活させるものなのに、数の論理で、充分な論議を尽くさずに、自民党が権力で通過させた。

恐ろしいことが、戦争に突き進んでいく危険を私達は抱え始めている。

こういう時のこそ、「広島、私の愛」という作品は存在感を発揮する。

原爆で、焼けただれた身体を横たえ、沈黙のうちに、じっと絶えて、死を待つ人々の姿が映し出される。

目を覆いたくなる、恐ろしく痛ましい光景。

フランスから、平和のテーマで 映画の撮影に、女優としてやってきた、エマと、広島の男が抱き合っている。

 

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「君は広島で何も見なかった。」

  「私は見たわ。全てを。」

二人はこのフレーズを何度も繰り返す。

エマは、ヌベールというフランスの田舎町で、ドイツ兵と激しい恋に溺れていた。

禁じられた恋。破廉恥で不道徳な恋。

ドイツ兵と、森の中で、茂みで、隠れて、二人は深い愛で結ばれている。

エマの 目の前で、エマを待つドイツ兵は撃たれて死ぬ。屍を抱いて、心は死んでいるエマ。

解放に沸くフランス。

 

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エマは、民衆の弾劾を受け、丸坊主にされる。

両親は娘を地下に閉じ込める。

狂気の娘が、おとなしく、理性を取り戻すまで。

 

誰にも語ったことのない、心に深く閉じ込めていた、恋に、エマは再び、ヒロシマで

再開する。

ヒロシマの男とエマは、どちらも結婚している。

許されざる恋。破廉恥で不道徳な恋。

激しく愛し合う二人の男女は、再び引き裂かれる運命にある。

ヌベールで失った、恋人に、ヒロシマで再び出会った。

苦しくて、焼けただれる苦しみ、それは、エマがヌベールで体験した恋と似ている。そっくりなのだ。

フランスでの、妻としての、道徳的で社会的な存在を無くして、エマは狂気の愛に埋もれる。

男の名は、ヒロシマ。女の名はヌベール。

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ヌベール、というのは、Never という、言葉。決して、という意味。

ノーモア、決して、という言葉と同意義語。

 

戦争によって引き裂かれ、深い傷を負い、苦しみと記憶を封じ込めていたエマは、ヒロシマ、原爆、で

愛に再開する。同じ傷をおったヒロシマで。

 

 

 

 

恋は狂気。戦争も狂気の沙汰なのだ。

戦争に駆り立てる狂気と、愛し合う狂気と、どちらもが、人間が欲望に左右されて、相手を我が物にしたいという欲望

 

勝利に狂喜して、エマの髪を刈って、弾劾するフランスの女達も、狂気の恋に落ちれば、理性や道徳などは吹っ飛んでしまう。

 

戦争は悪だ。戦争の狂気は、愛に置き換えれば、防げるはずだ。

刀を、語り合う言葉に変えて、互いの理解を 模索すれば、理性を取り戻せるはずだ。

男と女のいかなる激しい恋も、時間と共にいつか色褪せ、理性が互いを包むようになると、

あの狂気は、なんだったんだろうと思うだろう。

 

この映画でも、男はヒロシマ。女はヌベールに。

個人的な存在ではなく、誰にでもつけられる無名の名になる。

 

戦争の狂気を、人間を愛おしみ、愛することに、昇華することで、ノーモア、ヒロシマ.

平和を持ち続けることが可能になるのではないか、とこの映画は訴えている。

 

 

 

篠田桃紅

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先日、日野原さんが亡くなられて、追悼番組で、スイッチという、互いの領域について、交互のお宅や、仕事場を訪れて対談するという放送を見ました。

日野原さんは、聖路加病院の院長で、以前から知っていましたし、考え方は、あちらこちらの放送で存じていました。

新鮮な驚きと、素敵な女性として、学ぶところが多いのは、篠田桃紅さん。

共鳴する考え方もあり、出来れば、理想とする生き方をしてこられているからでしょう。

理想というのは、私には決して出来ないから、理想なのです。

篠田桃紅さんが言っておられる言葉で、一番惹かれた言葉があります。

 

私は欲が深いんだと思います。

もう自分の持つ力や能力として、これくらいなのだと、諦めることができないのです。

毎日、もう少しましなものが書けるはずだ、もっと納得のいく作品が作れるのではないかと

筆を使って、紙に描くわけです。自分の限界を受け入れる謙虚さがないのです。欲張りなんです。身勝手というか、わがままなんです。

 

105歳という年齢を考えれば、桃紅さん自身が、恥ずかしいとの謙虚の表れなのでしょう。

 

http://www.gi-co-ma.or.jp/collection/photo/  篠田桃紅

 

そして、

 

未来のことは考えたことがないです。描くことは、私にとって、生きることと同じ。

自然なのです。

理屈や、常識に左右されずに、自然「私という存在」が、欲求するままに、自然に導かれて、生き、制作している、ということなのでしょう。

 

一方の日野原さんは、人のために生きることが大事、生かされた命を、他の人にために生かすことが人間に与えられた使命であるという信念が、日野原さんの生命力になっています。

10年単位で、スケジュールを立てて、遠い未来に向けて、希望が日野原さんを生かしています。

 

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対照的な二人のように見える。

自由とは、自分に因るということだと言い、孤立が基本の桃紅さんと、人は人によって支え合い、希望がなければ生きられないという日野原さん。

 

どちらも、結局は同じことを言っているのだと思う。

 

作品を描き、もっと良いものが描けるはずだというのは、希望に支えられていということ。

作品を発表するのは、人に見てもらいたい、評価を求めているということ。人に支えられ共感を

持たなければ、作品として存在出来ないということ。

 

私は、感心し、素晴らしい生き方を貫いていることへの憧れと学ぶところ多いなあと、

ただ感心するだけで、誰のためにもならず、欲望はすぐに干しゃって、飽き性なので、

理想でしかないわけで。

凡人だということで納得。

 

イージーで、自分に甘い私。