青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

母の笑顔

 

f:id:happyengel:20170811003206j:image

母が、歯を見せて笑った。

心から楽しそうに笑っている。

妹と久しぶりに、母の施設で待ち合わせた。

私と妹が、久しぶりに会ったので、母を囲んで二人が話をしていたら、

母も、会話に加わるように、言葉を発して、話し始めた。

顔は満面の笑顔。

いつもは口を噤んで、食べてもらうのに、口を開けるタイミングが難しくなっている母が、

歯を見せて笑ってくれた。

妹も、見たことのないという笑顔。

朝だからなのか、話し声で、娘達と一緒にいることを理解しているのか。

嬉しかった。

こんな笑顔を忘れていないのだ。

施設の職員に帰りがけ、母がよく笑って、話をしたというと、

朝食も、良く食べたとのこと。

母の体調も良かったよう。

老人の体調は めまぐるしく変化する。

時折、熱が出て、寝込むと、もうダメかなと不安になる。

二、三日寝込んで、再び起きて食事もダイニングで取れるようになると、

まだまだ、大丈夫、と楽観視したくなる。

今日は、お盆のお供えを持って、お参りに行く予定で、妹と待ち合わせをしていた。

昼食時に、施設を出て、すぐ近くに住む、弟に家に行き、久しぶりに、弟のお嫁さんと3人、話の花が咲いて 長居をさせて  もらった。

楽しかった。

 

f:id:happyengel:20170811004045j:image

梅田に出て、妹と遅いランチは、軽いものが良いというので、お蕎麦。

夕食が近い時間だったから。

f:id:happyengel:20170811004054j:image

 

私の心配性に反して、妹には、母はまだまだ元気で長生きするように映っている。

そう言われると、気が楽になる。

最近では、母の体調を見ては、ネットで調べたり。

認知症の末期の症状だとか、末期ではどれくらい生きられるだろうか、とか。

友人のお母さんが亡くなられて、どれだけ悲しいだろうか、と私は自分の場合を想像して

訊ねるのだけど、全く悲しくない、と言う答えが帰ってきたりする。

あまり訪ねて行かなかった人は、それほどの実感も持たないよう。

訪ねて、嫌な顔されると、それが足を遠のかせる。行かないから、忘れられると言う悪循環。

でも、そう言う疎外感が、悲しみも薄れさせる。

私は、母の笑顔を見ることが目的のように、母の施設に通っている。

笑顔のない時の辛さと、母が笑ってくれる時の幸せ。

母は私の生き甲斐になっていることが自覚される。

母の死は、想像しては みるものの、到底耐えられそうにない。

笑顔があるから、耐えられそうにない。

母の小さな肩を抱くように、母の胸に顔をつけ、私は、母の

に抱かれている。優しい母の手が私を包む。