青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

歯科医

 

 

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長い治療期間を終えて、今日は。最後のセラミックを入れてもらいました。

テンプレート療法の治療が、一応これで終了。

歯科医は。末期ガンなので、いつまで治療ができるかわからないと言われてて、途中で放り出されたら困るなあと思ってたのですが、最近では、歯医者さんは、このまま良くなられるのではないかと安易に考えるようになって、つい、下の歯の気になる部分を治してもらえないかとお願いしてしまって。

配慮のないことだったと反省中。

上下の歯の形を損なわない治療してもらえるのは、今通っている歯医者さんだけ。

 

しっかり噛めるようになって、テンプレートの長い治療から解放されて、もうそれで良いではないかと思うのですが、これから先、具合が悪くなって、他の歯医者で、変にいじってもらったら、台無しになつてしまう。

歯科医は、治すのなら、下の歯の両方だと言います。審美歯科医の観点からは、上下の歯が完璧でありたいわけです。

昔は、奥歯に金をかぶせるのは普通だったのです。

母の頃は、わざわざ、金を入れてもらって、見えるように笑ったとか。

反対側に、奥歯に金歯を被せているから、それセラミックに変えないといけないと、歯科医は。

それほど、私はこだわつているわけではないし、費用もかさむ。

それほど大掛かりにはしたくない、と言う勇気もなくて。

あらたな悩み事作ったのは、私。

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歯を治していただいて、中途半端な時間にお昼を食べました。

梅田の地下にある、家族亭で。

鰻丼と盛りそばのセット、美味しそうだけど、多すぎる。遅い朝を食べて出てきたので、そんなには食べられない。

十割蕎麦があるので、シンプルな十割蕎麦を選びました。

 

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この店は、二八でも美味しいのです。家族亭と言っても、お店によって違います。

昔から、ホワイティ梅田の地下にあるこの店は美味しいのです。

父母が健在だったから、良く入った店。

十割蕎麦は、パサパサのお蕎麦を出す店もある。黒い蕎麦だったりもしますが、この店の十割蕎麦は、白い くて、コシがあるお蕎麦。

美味しくて、もっと食べたいくらい。

この店の、稲荷寿しも美味しい。1つから頼めるのです。食べないで帰るわけにはいきません。美味しいですから。

今度はお腹空かして、鰻丼と蕎麦のセットが食べたいです。

 

炎天下、全く日陰なし

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庭に出ると、ジリジリと暑い。

大木が光を遮って、庭の緑をかばってくれていたのだ。

むき出しの庭。

植木屋さんの仕事は午前中に終わった。

アルミの生垣が、木に押されて、一部壊れているのが明るみに。

切ってもらって正解だった。

外から丸見えなので、適当な木を植えてもらう。

夏は、植樹に向かないので、秋になってから。

常緑樹の、あまり背が高くならないものが良いとのアドバイス。

年に一二度、来てもらっていれば、これほど大変な仕事にならなかった。

 

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男手のある家は、ご主人が庭木の手入れをしているところもある。

留守宅で、植木屋に一任している家もある。

 

これからは、私も、お任せにしても良いなあと思っている。

自分ではできないことに、代わりにやってもらえることに使うお金は惜しまない。

自分でできることはできるだけ人に頼らず、自分の身体を使うことも、惜しまない。

普段はタクシーを使わない。荷物があっても、自分で運べるなら、タクシーを使わないで、公共手段を使っている。

歩くことが難しい時に、タクシーに乗って、目的地に連れて行ってもらうと、有り難さが身にしみる。

そいうことに、お金が惜しいとは惜しいと思えない。

ただ、使えるお金があることには、恵まれていて、有難い、感謝。

 

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私は思う。

どこかのテレビで、アン、ミカ、という人が、顔に注射をしてもらっていた。

シワ取りなのか、施術代は50万円だとか。

そういうお金は贅沢だとは思わない、と言っていた。

 

私は、そういうことにお金をかける気もないし、必要もない。

、彼女達は、美顔で仕事をしているのだから、必要経費なのだろう。

 

お金の使い方は、人それぞれに、

値打ちがあるというものにかけているのだと思う。

価値観は様々。

 

誰だって、限りがある。どこに使って、どこで仕末するか、皆、やっていることだと思う。

 

 

 

造園業

 

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暑い夏は、植木屋さんにはきつい。

兼ねてから電話で、予約していた。

奥さんが出てこられて、8月になりますが、とのこと。

いつでも良いです、とこちらは遠慮がち。

だって、我が家の庭はひどい状態。

草が伸びるだけ生え伸び、鉢の花は枯れ、家を建てた時に植えた木が、高くなり、幹は太くて、中は枯れている。

以前から、時折、来てもらっていた。

今は、ケアハウスにいる、働き者のご近所さんの紹介がきっかけだった。

最初は、植木を切ってもらったものを、自分たちで、捨てに行った。

この奥さんは、身体を使うこと厭わず、倹約家。費用を考えてくれたのだろうが、一回で懲りた私は、処分もお願いさせてもらった。

 

近所の空き家にある木を切ったりしていて、我が家の木を切ってあげると親切に切ってくれたのだけど、切り方が悪くて、半分が枯れたまま成長し続けていた。家を建てた時に植えたものが

5本あった。息子は気に入っていたし、目隠しになるのが良かった。倒れると言われた。倒れなくても、アルミの柵が壊れると。

根こそぎは、大掛かりな仕事になるので、根元から切ってもらうことになった。

隣の庭に落ち葉が落ちないように、境界にある木も。楠木も。

木のゴミがあまりに多くて、植木屋さんは、何度も一杯になったトラックを運転して出て行く。

一日では終わらないだろう。

私は、おやつと冷たいものを出すために、今日は家にいる。

冬に花を咲かせていた山茶花の葉がなくなっている。

この虫が、皮膚炎や蕁麻疹を起こすので厄介なんです。害虫がいっぱいついている。

この前、友人が、顔中腫れ上がって、蕁麻疹のような皮膚炎になったと言っていた。草抜きが原因だと。

それでピンと来た。これなんだ。

郵便受けのそばにある木だ。薬をかければ治るそうだ。

植木屋さんに来てもらって、助かった。

いくらかかっても良いと思う。

こんな大変な仕事、誰もやりたがらない。

紫外線に当たりたくない。虫に刺されるのはごめん。

膝が悪いからしゃがみこんで草抜きができない。

 

一本だけ残した木を、植木屋さんが切っている。

これだけは、前の家から視線を遮るために必要だから。

そのうちに、切らないといけなくなるだろうが、小さな苗を買って植えたもの。

20年で成人した木だから、他のようになるまではまだ時間がある。

手入れがいるような、立派な木は一本もない。

造園業の、職人さんがする仕事ではないような、庭なのに、断られても良いところ。

雇い人ではなくて、親方が、一人で引き受けて仕事をしてくださっている。

本当にありがたい。

切り株の痛々しい姿に、心が痛む。

周りは、植樹し、手入れの行き届いた、立派な木が大木になっている。

反対に我が家の庭は、ユキヤナギとハーブ、さつきに、マーガレットなど、花だけになった。

夕方、今日はこれで、明日に、と言って帰って行かれた。

 

 

沢田研二、50周年記念コンサート

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今夜、フェスティバルホールでの、沢田研二のコンサートを聴いた。

ジュリーの生の声を聴くのは初めて。

素晴らしい声。練り上げられ、鍛え上げられた、幅と奥行きのある美声は、昨日昨日、できるものではない。

声帯の強靭な強さがなければ、壊れてしまうのではないかと思われるくらいの、熱唱が延々と続く。

身体も軽快で、若々しい。

写真で見たジュリーに、見たくないと思っていた先入観は、どこかに吹き飛んでいた。

ジュリーの鍛え上げられた美声は、魚河岸の競りで、鍛え上げられた声にも、通ずるものがあつて、職人の声。

 

ジュリーは、舞台で、爆発する。

野獣となる。自由に動き回り、思いの丈を発散させている。

内に秘めた若さは、昔のまま、風貌は自然体で、見かけは年取っているけれど、エネルギーは、底知れぬほど力に満ちている。

歌は、ドラマのように、感情を込めて、心をほとばしらせて歌う。

一曲が終わると、ありがとう、サンキュー、を連発して、深々と頭を下げている。

ジュリーの感謝が、自然に現れているのだということはわかるのだけど、こちらは、現実に引き戻されて、がっかり。何曲か空けての方が良い。

ジュリーの自然体は、あくまでも庶民的で、大衆的。

ジュリーのファンが、これだけ多く、一体感を持って、ジュリーに、フィデリティなのは、庶民性にあるのではないか?と思う。

小田一正のエリート的気取りもなく、玉置浩二のように、脆さと狂気的な不安定さもない。

いつも変わらず、気も使わず、自然な、肩の凝りのない舞台なのではないかとおもうのですが、ジュリーの熱心なファンの人達にとっては、違うのかな。

 

 

 

 

 

玉三郎、イノセントブルー

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昨夜、玉三郎が編集した、プライベートな玉三郎に触れられるテレビ映像を見ました。

初めて訪れた、ボラボラ島から始まって、ほとんどが、ダイビングシーン。

玉三郎のお兄さんはダイビングの専門家で、玉三郎は海に馴染んで育っていましたが、ダイビングの危険性を危ぶんだ兄は、玉三郎にダイビングを勧めなかったので、玉三郎がダイビングを始めたのは20年前、その兄の息子である、甥から手ほどきを受けたそう。

最初の海外経験が、2002年、甥と共に、ボラボラ島。

赤茶の髪を染めて、少年のような身体の若い玉三郎が映し出されます。

美しい景色と、美しい海の世界。

 

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カメラは、玉三郎の別のお兄さんが、やはり、水中の仕事をしていて、水中カメラを作り、て、その開発カメラで、水中の撮影をしています。

魚のように、しなやかな玉三郎、水に馴染んで、舞うようにも見える。

魚の群れ、サンゴの神秘的な美しさ。色とりどりの、自然が作り出した生き物、神が作り出した自然の形、

深層に降り注ぐ、光のシャワー。屈折が作り出す、目に見える光線の不思議な美。

 

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玉三郎の世界は、全てが美に包まれている。

少年のような、美しい身体は、ギリシャ彫刻のように、神に愛された、ホモセクシュアリティー、そのもののような。

ダイビングの海を求めて、世界の美しい、神秘的な海に、2006年までの映像が収められている。

撮り貯めたビデオから、玉三郎が好きな場面を取り出して、作った作品は、美的追求に終始している。

海の中で、玉三郎は自然の一部になり、自然から、心と鋭気をもらうい、新しい力がみなぎる。動物に成れると語っている。

玉三郎は、子供の頃から踊ることが好きで、中学時代に歌舞伎の森田勘也の養子になり、以来、稽古一筋の道、精進を重ねて、玉三郎という美的存在を作り上げた。

水中ダイビングは、玉三郎に取って、遅い思春期の少年時代 お始まりのような気がする。

 

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先日のトークで、玉三郎が、ディズニーランドが大好きだと言っていたことと、結びつくように思う。

思春期を置いてきた少年は、歌舞伎の世界で、唯一無二の、玉三郎を作り上げてから、少年の世界に生き始めたのか、永遠に少年のままに、時間がストップしていたのか。

表舞台と、知られざるプライベートな玉三郎の、そのどちらもが、美的空間に彩られている。

おそらく、育った環境に起因するものだろう。

玉三郎が母親に、三度も新しい家に住めて良いね、というと

玉三郎のお母さんが言った言葉。

お前がいなかったら、新しい家に4回引っ越してた。

 

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お金という、経済的感覚は、玉三郎の辞書にはない。

欲しいものは、安物ではない。職人が丹精込めて、時間をかけて作り出した美の極致を表現するもの。

汗水垂らして、上司に嫌味を言われながら、妻子を養って、楽しみは、仕事帰りの居酒屋での憂さ晴らし、生活に疲労する大人の男達の世界とは無関係な世界に生きている。

玉三郎が追い求めているのは、美の追求であり、住んでいる世界は、神秘的な海の、自然に包まれた、静かで孤独な世界。

男兄弟の末っ子に生まれ、父親からは褒められつ記憶しかないという。

養子に入った、義父は、玉三郎を褒めたことはないという。

玉三郎は、教えられることに忠実で、素直によく聞き、精進を重ねたと言っていたことがある。

反発するというのは、認められない自分を相手にアピールすること。

玉三郎にはそういう必要がなかった。

守られ庇護され、美しい少年は、美しいままに、ナルシスの鏡に映る自分の顔を、より美しく見せる術を探し求めてやまない。

泉鏡花の、「海神別荘」の、海の皇子の言葉そのままに、純粋な世界に玉三郎は存在している。

 

民進党代表選挙

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蓮舫代表の辞任で、民進党は新たな代表を決める選挙が行われる。

代表に手を上げているのは、前原さんと、枝野さん。そこに加えて、玉出さんも意欲を示している。

誰が代表になっても、民進党は浮かびあがれないのではないか?

根本的な問題は、民進党が一枚岩になれないこと。

一枚岩になれた時期もあった。

小沢さんが、作り上げた、民主党政権下で、小沢さん下ろしをした時。

7奉行とか言われていた頃。

解体の兆しは、その頃にすでに芽生えていた。

 民主党は 、自民党に二大政党を目指していた小沢さんが、成功を収めた政党だった。

当時、勝ちすぎた、と小沢さんは言っていた。

自民党への不満が、一気に民主党への票に。

松下政経塾の卒業生達は、エリート意識が強く、口は立つが、苦労知らず。

小沢さんを、汚れた人間として弾劾した。

そん時に衰退の道は決まっていたと私は思う。

名前を変えても、内容が変わらない。代表が変わっても、ダメだと思う。

解体して、最初からやり直さないとダメだと思う。

小沢さんは、野党が一致団結して、自民党に対抗する勢力の実現を諦めてはいない。

共産党への偏見を捨てられるかどうかが、大人の政党になれるかどうかを決める石塚だ。

小池都知事は、小沢さんと行動を共にしてきた一人。

新しい波は、小池新党で起こる気配がある。

公明党は、今は自民党政権にとどまっているが、小池新党に傾いている。

自民党は、解散を考えている。

小池新党が準備不足の間に、民進党が、代表選挙で時間を食っている間に、解散がある可能性がある。

 民進党には、小沢さんに近い議員も多い。

小沢さんは、自分の印象が悪いからと、表舞台に出ようとしないけれど、元気な森さんが頑張っている。

新しい風は、小池さんや、森さんが起こせると思う。

今、小沢さんを糾弾したことを後悔している議員も多いだろうと私は思っている。

小沢さんは、共産党との連合に力を尽くしてきた。

それが大人の政治というもの。

考え方の違いはあっても、国民が、何を望んでいるのかを第一に考え、議員は、民主政治を貫けるか。

国民第一の政治、この一点に、意見を集結し、国民主権の政治を実現することを理想としてきた小沢主義が、再び見直される時期が到来しつつあるのでは?

 

 

 

 

 

 

 

膝の痛み

 

 

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治っていた膝の痛み、再び爆発させてしまった。

膝を護るためには、太ももの筋肉をつける運動が良いと、整形で教えてもらったように、朝晩足を突き出して、指を私の方に曲げて、30秒間。

日に10回必要だと、テレビでも言ってたので、朝、昼、晩に分けて、やっていた。

この運動のおかげで、治ってきたと思っていた。

すっかり痛みもなくなり、和式トイレを使えるようになった。

歌舞伎を見て帰ってきてから、朝、二回しかやってないので、夜不足分の8回、やらなきゃと、テレビを見ながら、休まずにやっていた。

あれ、また痛い、と思いながら。

終わって、立ち上がると、歩くと痛む。おかしいと思いつつ、階段を上るのが辛い。

朝には治っているかと鷹をくくっていた。夜中痛む。

朝はひどい状態だけど、まだ歩けた。

2週間行ってなかった整形に行った。階段が痛くて歩きづらいので、エレベーターを使った。

痛み止めの飲み薬をもらい、リハビリ室に行き、終わるともっと痛む。

母の所に行き、コナミは無理 と思いつつ、水中で歩けば良くなるかも、と。

階段は歩けないのに、必死でプールに行き、水中を痛みをこらえて歩いた。

出てくると、さらにひどい。

それでも、帰りにイカリで買い物して、帰ってきた。階段はとてもダメ。エレベーターを使った。車に乗るときも、降りるときも、痛くて、涙が出そうなのに。

足を踏ん張ると、激痛が走る。

大概の場合は我慢するのだけど、歩けない状態。階段を上がって、ベッドに横になるのも辛い。

この前と、全く違う。肩の関節で、激痛で寝られなかった時と似ている。

あの時は、息子たちが帰るので、急に掃除を頑張って、肩の急性関節炎を起こした。翌日、整形に行くと、ブロック注射をしないと、いつまでも痛むと言われたので、家事もしないといけないので、やってもらった。

今回の膝の痛みようは、急性の関節炎のように思われる。

ネットで調べたら、運動のし過ぎで、靭帯を損傷する場合があると書いている。

この前の膝も、靭帯損傷の軽傷だったようで、整骨院で、靭帯を痛めていると言われた。

靭帯損傷は、3週間で回復すると書いている。

私の膝が治ったのと同じ期間だ。運動で治ったのではなく、時間が治してくれていた。

なのに。

また、今度のは酷い、靭帯損傷。

歩くと激痛が走る。冷や汗ものだ。

痛み止めは飲まない私だけど、我慢出来ない。立ち座りも、痛みをこらえないと出来ない。

ついに、薬のお世話になる。

ブロック注射してほしいくらい。今は別の整形に通っていて、今日は診察がない日。全日めてもらえる医者でないとダメだと反省。

しばらく、外出出来ないのでは。

とんだことをやってしまった。

ズキズキ疼いている。

安静が必要だったのに、無理に動いて、悪化させた。

整形外科の医者に言われた言葉。

身体は自分で治すもの、という悪い例がここにある。

 

 

盟三五大切、仁左衛門

 

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7月歌舞伎、松竹座の千秋楽に、仁左衛門の、盟三五大切り 、夜の部を観に行きました。

仁左衛門にうってつけの役所で、立ち居振る舞いの美しさが際立つ舞台です。

仁左衛門は、形の美しさにこだわりがある役者ですが、たつているだけで、歩く姿の、前にも後ろにも、どこからも凛とした美しさと、柔軟さがあります。

一本気で、心の純粋な優しい男が、色香に溺れ、騙され、一転、心の暗い闇の中で、悪の虜になり、殺害を繰り返す。

主人の身代わりに申し出る、下男役の、松也の、軽妙で笑いを誘う演歌が好評。

芸者役の時蔵と、悪だくみの夫役の染五郎、見応えのある、粋で、きっぷのいい演技が光った。

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全体に、笑いを交えて、滑稽な所もあり、観客を引き込んでいくお芝居で、大向こうから、声が沢山かかって、千秋楽を盛り上げているかのよう。

最後に、出演者が、観客に向き直って、挨拶があり、幕が降りてから、観客はカーテンコールの拍手で、幕が再び上がらないかと待ったが、いつまでも開かなかった。

 

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アナウンスがあり、観客は諦めて出て行った。

本日はこれにて終了いたします。と挨拶したのに、開くのはおかしいということだろう。

忠臣蔵は、歌舞伎の題材に多く取り入れられているが。この、盟三五大切も、一途な男女の情愛と忠節を主題にしている。

食事は、やはり、はり重のカレーハウスで、ミンチカツ定食。

 

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これは、お値打ち。

ハンバーグに、ころもをつけてフライにしている。

デミグランソースで、美味しさが増して、ハンバーグ定食を食べるよりも美味しい。

はり重のデミグランソースは、最高の味だと私は思っている。

隣のレストランで、ハンバーグ定食は、1700円。

こちらのカレーハウスで、ミンチカツ定食を食べは、900円。

 

閉会中審査

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衆議院と参議院、二日間の閉会中審査を聞いた。

新しいことは出てこない。

総理が、低姿勢になり、言葉使いが丁寧に、低姿勢になったが、肝心の国民が納得できる説明はなかった。

支持率低迷を気にして、低姿勢になっているが、真実は隠されているという疑惑はますます深くなっただけ。

与党は これで、幕を閉じるつもりでいる。八月になれば、内閣改造をして、問題の多い閣僚はやめさせて、新しい大臣を起用すれば、国民の関心も薄れる頃になるので、経済に力を入れて、支持率低迷から、徐々に回復していくだろうと考えている。

 

国民の関心は、薄れているので、このままフェードアウトするのではないかと思う。

 

政治家と利益団体の癒着は、今に始まったことではない。

今までも、これからも、なくなることはない。

正しいことを貫く政務官は、決して、日の目をみない構造になっている。

前川さんは、一人で、周りのかつて一緒に働いた、仲間や、先輩とも、決別し、真実を述べているが、

和泉補佐官の虚偽発言によって、また、前川さんの、かつての上司であった、元愛媛県知事によって、

窮地に追い込まれる状態になっている。

国民は、前川さんの勇気も忘れるだろう。

給料が上がって、暮らしが少しでも良くなる方に関心が移るだろう。

加計学園が.4条件を満たしていないのは、明らかなこと。

加計学園が、認可を受けることは難しくなっているので、このまま、加計学園に決まれば、国民の安倍首相に対する不支持が再び再燃するだろう。

それもしばらくの忍耐だと、たかをくくって、突破するのではないだろうか。

正直者は馬鹿を見る、という悲しい現実を、見せつけられているような気がする。

悪賢く働く人が、国を動かせ、国民を扇動できる。

 

 

 

 

 

フィガロの結婚、中村理恵のスザンヌ

 

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西宮芸術センターに、再びオペラ 「フィガロの結婚」を聴きに行きました。

このチケットは、最初に買ったもので、海外キャストだと思って買ったら、日本人キャストだったのです。

センターで、チケットを取りに行った時に、一枚は、受け取りしなければ良いのでは?と聞いたら、一旦買ったものはダメです。どなたかに譲ってください、と言われて、一旦は ヤオフクに出したのですが、売れないので、大幅に値段下げるよりも、聴き比べしたいと思って。

初日の、海外キャストの時は 席が二階だったので、肉眼では遠かったのですが、今日のは、日本人キャストとは知らず、良い席が残っていて、飛びついたので、舞台がよく見える席で、 右側の、少し高い場所から、オーケストラ席がよく見えて、佐渡裕の指揮の繊細でダイナミック、舞台の歌い手と、呼吸を合わせて、口ずさみながらの様子まで 見えました。

日本人キャストによる、フィガロの結婚、なかなか良かった。

中村理恵さんが演じる、スザンナがとても良かった。

 

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歌唱力も、声量の豊かさ、演劇的な演じ方も、素晴らしい才能を持った人。

伯爵役の、高田さんも、上手だった。

他の歌手も、皆、安心して聴くことのできる歌唱力があって、楽しく聴くことができました。

 モーツアルトの歌劇は、オーケストラの演奏に似た構成になっている。

声という、最も精密な楽器を 、各パートを受け持つ歌い手が、美しいハーモニーを生み出すように、

重唱という、形式をふんだんに使っています。

ベルディや、プッチーニの歌劇とは違う所です。

 

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なので、ベルディのようにに、プリマドンナや、テノールが、ここぞとばかりに、歌い上げ、観客がその歌声に酔いしれて しばらくの沈黙の後に、割れんばかりの拍手をするということはあまりありません。

重唱の美しさが、魅力的です。

侍女が、 見つからない、と一人で歌う、地味だけれど、心に残る場面があります。

概ね、賑やかで騒がしいオペラの中で、そこだけが異質で、とても静かで染み入るような、短い歌なのです。間奏曲の小休止のように。

 

二回も 観るのは、贅沢なようにも思いましたが、それだけのことはあるとがわかります。