青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

広島、我が愛、hirosima mon amour

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CSの映画放送で、「hirosima mon amur」を観ました。

マルグリット デュラスが脚本を担当、アランレネのデビュー作。

今日、広島の原爆記念日に、ふさわしい作品だと思って、取り上げました。

この映画は、一般上映向きではないと、当時は不評だったようですが、キネマでは高く評価されていました。

フランスでも関心は少なかったようですが、その後、この映画の価値は再評価され、

今は、各国で上映され、人々の共感を得るようになっているようです。

昭和58年の広島での、互いに傷を持つ男女の、「二十4時間の情事」という、日本名で当事は、上映されました。

今は 原名をそのまま翻訳した「広島、我が愛」に変えています。

 

ノーモア、広島。

もう二度と広島に落とされた原爆を許してはいけない、と戦後の日本人は、長く叫び続けてきたのですが、いつの間にか、その痛みを忘れ、他人事の苦しみを無視するようになり、核に守られているからと、アメリカと同調して、核廃絶会に参加もやめて、核禁止に賛成しない恥ずかしい状況。

世界で核廃絶を訴えて、平和を守ろうとする国々に顔向け出来ない政府です。

国民も、暗黙のうちに承知してはいないだろうか?

北の核脅威に、対抗して、核を 持つべきだという意見まで。

共謀罪は、警察の権力を増大させ、人々の自由を奪い取り、戦争中の憲兵のような特権を復活させるものなのに、数の論理で、充分な論議を尽くさずに、自民党が権力で通過させた。

恐ろしいことが、戦争に突き進んでいく危険を私達は抱え始めている。

こういう時のこそ、「広島、私の愛」という作品は存在感を発揮する。

原爆で、焼けただれた身体を横たえ、沈黙のうちに、じっと絶えて、死を待つ人々の姿が映し出される。

目を覆いたくなる、恐ろしく痛ましい光景。

フランスから、平和のテーマで 映画の撮影に、女優としてやってきた、エマと、広島の男が抱き合っている。

 

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「君は広島で何も見なかった。」

  「私は見たわ。全てを。」

二人はこのフレーズを何度も繰り返す。

エマは、ヌベールというフランスの田舎町で、ドイツ兵と激しい恋に溺れていた。

禁じられた恋。破廉恥で不道徳な恋。

ドイツ兵と、森の中で、茂みで、隠れて、二人は深い愛で結ばれている。

エマの 目の前で、エマを待つドイツ兵は撃たれて死ぬ。屍を抱いて、心は死んでいるエマ。

解放に沸くフランス。

 

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エマは、民衆の弾劾を受け、丸坊主にされる。

両親は娘を地下に閉じ込める。

狂気の娘が、おとなしく、理性を取り戻すまで。

 

誰にも語ったことのない、心に深く閉じ込めていた、恋に、エマは再び、ヒロシマで

再開する。

ヒロシマの男とエマは、どちらも結婚している。

許されざる恋。破廉恥で不道徳な恋。

激しく愛し合う二人の男女は、再び引き裂かれる運命にある。

ヌベールで失った、恋人に、ヒロシマで再び出会った。

苦しくて、焼けただれる苦しみ、それは、エマがヌベールで体験した恋と似ている。そっくりなのだ。

フランスでの、妻としての、道徳的で社会的な存在を無くして、エマは狂気の愛に埋もれる。

男の名は、ヒロシマ。女の名はヌベール。

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ヌベール、というのは、Never という、言葉。決して、という意味。

ノーモア、決して、という言葉と同意義語。

 

戦争によって引き裂かれ、深い傷を負い、苦しみと記憶を封じ込めていたエマは、ヒロシマ、原爆、で

愛に再開する。同じ傷をおったヒロシマで。

 

 

 

 

恋は狂気。戦争も狂気の沙汰なのだ。

戦争に駆り立てる狂気と、愛し合う狂気と、どちらもが、人間が欲望に左右されて、相手を我が物にしたいという欲望

 

勝利に狂喜して、エマの髪を刈って、弾劾するフランスの女達も、狂気の恋に落ちれば、理性や道徳などは吹っ飛んでしまう。

 

戦争は悪だ。戦争の狂気は、愛に置き換えれば、防げるはずだ。

刀を、語り合う言葉に変えて、互いの理解を 模索すれば、理性を取り戻せるはずだ。

男と女のいかなる激しい恋も、時間と共にいつか色褪せ、理性が互いを包むようになると、

あの狂気は、なんだったんだろうと思うだろう。

 

この映画でも、男はヒロシマ。女はヌベールに。

個人的な存在ではなく、誰にでもつけられる無名の名になる。

 

戦争の狂気を、人間を愛おしみ、愛することに、昇華することで、ノーモア、ヒロシマ.

平和を持ち続けることが可能になるのではないか、とこの映画は訴えている。