フェスティバルホールの、ドミンゴは、健在でした。
舞台に現れた時は、背中が丸くなり、お腹が突きでて、変わりように、ガクッとしたのです。
声の衰えも。
フェスティバルホールのチケットは、たくさん余っていたようで、階下の席が空いている。
高校生か、中学生なのか、チケットが余って、多くの学生が先生に引率されて、フェスティバルホールの席を埋めている。
高い席は残っていて、三階の、安い席は、完売。
わたしも、三階の最後列の最低のチケットを買って、それでも、11000円。
三万円代と2万円台の席が残っている。
全盛期の、トミンゴなら、60000万円の席でも完売だった。
高齢で、衰えを隠せないのだけど、不思議なことに、
進行するにつれて、若さが蘇り、声の張りが出て、艶も現れ、足の運も軽やかに、共演している、ソプラノと、軽やかにかっこよくエスコートしながら、見事なダンス。
下手だなあ、と思っていた、オーケストラも、指揮者が乗ってきて、演奏も、音もよくなってきて、
アンコールは、観客の盛り上がりに答えて、何曲も披露して、舞台が最高潮に。
観客もトミンゴも、名残おしく、サヨナラをしなけれはわ終わらない。という状態だった。
悲しいのは、5月に。リサイタルを予定していた、フジコヘミングのポスターに、中止の紙が貼られていたこと。
フジコヘミングのピアノも、このフェスティバルホールで、2回ほど聴いた。
2度目は。去年だったか。
1人では歩けなくて、支えてもらって。車椅子も用意してもらって、以前とはすっかりちかつて、老いていたが、一旦ピアノの前に座ると、力強く素晴らしい演奏。
次第に、若さが蘇って、支えなしに歩かれて、
フジコさんの演奏が終わって。共演の演奏者だけの、舞台に、私服に着替えて出てこられて、足を組んで座って、楽しく聴いておられた。
カレラスのコンサート時も、現れた時は、すっかり弱った感じ。次第に、元のような素晴らしい歌声に。
力が沸いてきて、情熱が、若さと元気を蘇らせる。
観客も、同じ。
人間は死ぬ時また、情熱を失わなければ、きっと永遠に若さを秘めている。