青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

セネガルに勝てた試合だった

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日本のサッカーチームは、精神力が強くなった。

精神力の強さが、持てる実力を発揮できるようになった。

西野監督との信頼関係が、チームを一つにした。

海外で実力をつけて、日本で、精神的な強い絆が生まれれば、最高のプレーができるようになるという証のよう。

一本の糸ではすぐに折れるが、11本まとめれば、絶対に折れないように。

精神力の強さは、練習量に比例するけれど、チームワークがそれに加えて、必需。

演劇は、演出家によって、作品の出来は変わる。

野球でも、優勝に導く監督もいれば、そうでない監督もいる。

サッカーチームの選手たちは、西野監督への愛情と信頼で、一丸となって、勝利への道を進んでいる。

その力は、とてつもなく大きくなっている。

自分の力を過信してはいけない。

自分がチームを勝利させたと自惚れてはいけない。

気を抜いて、休もうと思ってはいけない。

山は高く、険しく、困難だ。

今日の勝利が明日の勝利につながるために、気をぬくことなく、謙虚さを宝として、監督を中心に、持てる力のかぎりを尽くす。

ただそれだけ。

勝利の女神は、命をかけて、死をも厭わない努力と力を出しきったものに、微笑みと月桂樹の冠を与える。

映画、万引き家族

 

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映画「万引き家族」を、西宮ガーデンズで観ました。

時間が合わなくて、なかなか観られなかったのです。

映画館はがら空きでした。

是枝監督作品の中で、最もドキュメンタリー風にできているのでは?

樹木希林が入れ歯を外して、リアリティのあるお婆さん役に徹していながら、演技しているという感じが全くなくて、すごい人です。

是枝監督作品で、「そして父になる」では、スノッブでエリート意識の強い夫婦と、開けっぴろげで、教育もないけれど、あったかい夫婦の、子供が病院で間違えられていたことがわかり、血のつながりとは関係なく、愛することの意味を問いかけた。

万引き家族、においても、メインのテーマは同じだけれど、

社会からドロップアウトせざるをえなかった、社会の歪みと、弱者が寄り添って、孤独を温め合うかのように、息を潜めながらも、笑いを生み出す、より集まりの、血のつながりのない、偽りの家族を描きながら、本当の家族とは?を問いかける。

店にあるものは、誰のものでもない、というセリフが、万引きを強要される、幼い子供に納得のいく言葉になっている。

この言葉は、まさにフランス人に共感を呼ぶ言葉なのだ。

レ、ミゼラブルにおいて、ひとかけらのパンを盗んで、社会に憎しみしか抱けなかったジャンバルジャンが、僧院で銀の食器を盗んで逃亡し、捕まった時に、それは差し上げたもの、まだ忘れているものがあると、神父は、神の愛の捧げものを差し出す。

 

愛に触れて、変わるジャンバルジャン。ユゴーは、善と悪とが隣り合わせに存在し、それは常に存在し、生きる術でもあって、そういう社会問題を、愛によって、人道的な、善へと向かう希望を描く。

是枝監督が、描くたいものも、そういうものではないかと思う。

 

カンヌ映画祭で、審査員の心を掴んだのも、頷ける作品に仕上がっていた。

 

地震で気づいたこと。IHに変える方が安全

 

 

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この地震できずいたことは、火災が起こらなかったから、静かに対処できたこと。

これが、関東大震災級の、いやそれ以上の南海トラフ地震が起こったとしたら、町中に火災が発生して、火だるまになる危険を考えておかないといけない。

阪神大震災で、大規模な火災が発生して、火を消すまでに随分時間がかかり、大規模に消失。

今のガスコンロは、とっさの時に火を消すようになってうるものは、心配ないかもしれないけど、

皆、そうなっているとは限らない。

我が家のガス火災探知機が一度鳴り響いたことがある。

焦がして煙がでての通報だった。

慌てて、消したけれど、実際の地震時には役立たないのでは。

もっとも安全なのは、IHにするのこと。

ガスの復旧よりも、電気の方がはるかに早い。

電気が止まっていても、ボンベ式のガスコンロを持っていれば、調理は可能。

 

 

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ガスコンロの、魚焼き、で、毎朝、トーストを焼いているのだけど、最近、ちょっと他のことすれば、あ、またやっちゃった。焦がしてしまった食べられなくなる。

お鍋をかけておいて、底に焦げ作ったり。

たしかに、そこまで来ると、ガスは消えてはいるけれど。

調理としては魅力に欠ける、IHだけど、地震に備えて、変えようと思う。

母が一人でマンションに住んでいたころ、役お鍋を焦がしていた。

火を出したら危ない。近所に迷惑かけたらいけないというので、一人暮らしは心配で、弟と同居するようになって。

母の一人暮らしができるように、工夫が必要だったと後悔している。

少しぐらいボケても、一人で考んがえながら、自立した生活を続けることで、認知症の進行は防げる。

足腰も弱らない。

IHにすれば、火災の心配はなかった。

母は、デイセンターからの迎えを断るので、私のところのよく電話がかかってきた。

近くのグループホームに入居した頃は、十分一人暮らしか出来たと思う。

毎日、窓から外を見ては、帰りたいと言っていた。

夕方になると、どの人も帰りたくなる。

今入居している施設ても、どの人も、夕方になると帰ろうとする。

職員が、なにかと理由をつけて、なんとか落ち着かせる。

自分の家じゃないことが、認知症の人にもはっきりとわかるのが夕方。

私は、施設に入って来る人を見ていて、まだ一人で生活できるのに、と残念な思いをすることが多々ある。

自分で考え、自分でやりたいように生きることを拒むのは、年寄りのことを理解できない、元気で、エゴな人間たち。

お一人では無理でしよう、とケアーマネージャーや、病院のアドバイザーなどが、教えられたマニュアル通りに勧める。

どうすれば、認知症の人を含め、身体と不自由な人も、自宅で、最後まで、人間らしく生きられるかに、重点を置いた社会でありたい。

 

 

 

 

地震

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昨日の朝、庭で野菜の出来具合を見ていたら、身体が揺れて、強風かと思ったが、これは違う、地震だ、と。

隣近所の人が外に出てきて、話している。

やはり地震だった。

家の中にいるよりも、揺れを感じなかつた。

土が柔らかいのでクッションになるのかしら。

テレビをつけると、震度6弱。

家の中のものは何の変化もない。

テレビでも詳しいことはまだ入ってなくて、大したことなくてよかったと思ってたら、時間が経つにつれて、衝撃的な映像も入ってくる。

友人から電話をかけてくれたらしく、かけ直したら、回線が混雑とかで、ずっとかからなかった。

電話があって、広島から。

息子のお嫁さんのお母さんから。

京都にご家族が住んでおられる。

私は阪神大震災を体験しているのだけど、時間がいつのまにか、恐怖心を記憶の底に沈めている。

何年かは、わずかな揺れも、心臓がおかしくなるほどビクッとしたのに。

靴と懐中電灯をベッドのそばに置いて、お風呂に水を絶やさないようにしていたことも、いつの間にやら。

断水して、給水車に並ぶ人達を見て、また、気持ちを引き締めなくちゃと学び直した。

それでも簡単に考えていたらしく、午後、母のところに行くと、エレベーターが止まって、

入居者は、朝食中だったので、エレベーターの点検が来るまで、長い時間、ダイニングに閉じ込められていたそう。

危険を察知すればエレベーターが停止するのは良いけど、

点検再開まで、きてもらえる時間がわからないという不便さ。

階段を上がれる入居者はいない。

私が行くと、今さっきやっとエレベーターが動くようになって、母も、部屋にいるとのこと。

しばらくいて、コナミに行くと、駐車場に、全館配管のラベルが。

そうだよね。

電車走ってないし、営業できない、と思いながら、踏切を渡って、家に帰る道、近くのガーデンズも、暗い。

それからが大変。

車が渋滞してなかなか前に進まない。

いつもは30分で帰る道を、1時間20分以上かかった。

ても、私はずっと楽させてもらっている。

車の中でテレビに映る人達は、朝からずっと待たされている。

思い余って、歩いて帰る人たちの列。

東北地震の時に、玉三郎も、わずかな距離を4時間くらいかかつて、車の中にいたと言っていた。

玉三郎は、地震にあっても、ベッドから動かないそう。

このまま死んでも構わないと。

阪神大震災で、外界の音信を一切立たれて、ただやるべきことに一生懸命だった時、大変な思いをしながら、母と事後処理に明け暮れていた時、何も考えなかった、

水もガスもライフラインが閉ざされても、生きているかが不思議に思えた。

多くの人が亡くなり、町は崩壊状態だつたから。

今回の地震は、まだ大きくない。

南海トラフの前に、起こったという解説者も。

南海トラフの予行演習だとしても、巨大地震が起これば、何も学んだことにならないかもしれないほど、予測不能な自体になるのではないかと懸念する。

何ができるのだろうか?

 

映画、もりのいる場所と、映画、あん

 

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重い腰を上げて、出かけた。

歌舞伎映画の、弥次喜多、と、万引き家族を見るつもりで。

大阪市ステーションシネマで、弥次喜多を見てから、コナミに行くつもりだつたけど、昨日のトレーニングであまりに疲れている。

梅田シネリーブスで、もりのいる場所、が、16時40分からの上映だとか。

弥次喜多で、結構疲れていたけれど、コナミはパスして、見て帰ることにした。

以前なら、日に何本もハシゴしても平気だった。

最近は、二本が限度。

映像で見る、歌舞映画は、大写しで表情も豊かに見えて、面白い。

映画館に座っているのも結構疲れる。

シネリーブス梅田は、少し離れているのでついご無沙汰になるけれど、興味のある映画はたくさん上映している。

周りの景色も広々として、好き。

マツダのロードスターが展示されていた。

 

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真っ赤なスポーツカー。

 

もりのいる場所は、山崎努がもりを演じて、奥さん役に、樹木希林。

樹木希林の存在がなければ、退屈でつまらない作品になりかねないところ。

彼女の演技は、映画界にとって宝のよう。

 

作品としては、先日、WOWOWで観た、「あん」の印象が強くて、

あん、は、心に残る、とても良い映画だった。

閉ざされた世界で、希望を持てない状態において、生きねばならなかった、女性を演じた樹木希林の演技は、完璧の美しさを放っていた。

少女の頃から、社会から隔離されて、少女のような可愛らしさを持った初老の女性は、自然の美しさと、自然に養われて、のびのびと生きる、鳥のような軽やかさを備えている、無垢な女性。

人の苦しさを、自分の心の痛みとして、共感を抱いて受け止める女性。

 

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作品は、社会の中で、押しつぶされそうになりながら、絶望的な苦しみを抱えていた人達が、

閉ざされた心を、解放し、生きる希望を見出していく姿を描いている。

サルトルは、閉ざされた世界にいる時が自由になれる、と言ったのは、

想像力の限界なき自由を、そう表現したのだと思うが、

あんの、主人公の女性が、自殺することなく、人を恨むこともなく、これほどまでに、l純粋で美しい存在でありえたのは、想像力の世界に羽ばたいていたからだろうと思う。

 

現実を見る

 

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政治の腐敗を止める手立てはない現実。

安倍一強政治において、権力の行使がエスカレートしていく。

なにをどう批判しても、虚しく響くだけ。

真実は、もはや、虚構の中でしか存在しない。

楽しいこと、心に触れることを求めて、美的世界を生きる糧にしているわたしだけど、

現実を見つめなければならない場面も存在する。

昨夜、テレビで紹介された、在宅死、のドキュメンタリーは、目を背けたいが、背けるわけにはいかない現実。

家庭で家族の強力で穏やかな死を迎える人達を支えているのは、家族の深い愛と献身的な介護と、それを支え見守り、穏やかな死を迎えさせてあげようと在宅医師の、最良の方法を提供しようとする努力。

 

103歳になる、母親と同居してきた、息子夫婦。

奥さんが言う。

これ以上の介護はできないくらい、夫はよくやってきた、と。

親孝行で、母親が大好きな息子だろう。

矍鑠として、上品な母親は、おそらく、それまでは自分のことをある程度の助けに支えながらも、やってきたのだろう。

一週間の下痢が続き、肛門が緩んで、夜中何度もトイレに連れて行っていた息子。

在宅医は、リハビリパンツを勧める。

高齢の息子達の体力の限界を心配して、在宅医は、ショートステイを母親に促す。

息子達はショートステイではなく、施設への入居になることを承諾している。

行ったことあるから、覚えているでしょ。医者は母親を説得する。

 

息子さん達の負担を考えて、ショートステイしましょう。息子さん達に温泉でも行ってもらいましょう。

母親は、

良いとこじゃないの、わたしはここで、ひとりで留守番しますから、息子達は出かけたら良いです。

 

母親は、自分でなんとかやれるのではないかと思っている。やれなくても、ある程度の助けをお願いして、家にいたい。

穏やかで、迷惑をかけてかけることを極力避けてきたような母親だと思う。

 

施設にいる人たちを見ているから、わかる。

誰だって、気兼ねのない我が家が一番。

だが、医者に促され、決心する。

103歳の母親は、車椅子を使っているが、歩いて車に乗り込めるので、ある程度歩ける人。

奥さんはホッとした様子。息子は辛そう。

 

もっとも介護に難しい、盲目の娘が、肺がん末期の父親の看病をしている。

7歳に失明した娘と両親。母親を去年見送った夫は、自らも肺がんの末期だった。

二人の世話をしてきた父親は、盲目の娘が心配で、病院に入院せずに、家の戻った。

動けなくなって、盲目の娘は、近くにいる親戚の助けを受けながら、料理を覚え、父親の看病をする。

50代の盲目の娘の、優しい天使のような声が美しい。

訪問医は理由をつけては、訪問して見守り、娘に父親の最後の容態を察知して電話することを教える。

最後の時が来て、集まる親族。医者は、娘に、喉のところに手を当てさせて、弱い呼吸が止まる時間が迫っていると告げる。

静かに手を当てて、命の尽きる時を待つ娘は。

医者は家族を残して外に出る。

死亡時刻は、娘の時計で。

 

 

子宮頚がんの末期の娘と、在宅で介護する母親。

娘はモルヒネを使うことを躊躇して、吐き気に苦しむ。

77歳の母親は、娘の看病に、精神的にも限界だと在宅医に訴える。

娘の一進一退の症状。

娘は、

母親と逆だったら良かったと言う。

娘は、母親が、良い顔を見せるが、事実はひどいものだと。

在宅医は、症状が悪くなる現実を淡々と伝える。痛みなく、安らかに死を迎える

ことが医者と患者、家族の目標になることを伝える。

娘は死を受け入れて、モルヒネを吸引するようになり、自分ではそれもできなくなると、医者は

母親に使い方を教える。

苦しまずに穏やかな死。

母親に涙はない。娘を24時間付き添って、看病し、人間の死を受け止めて。

母親と娘は、きっと罵倒と罵りあったこともあっただろう。

60近い娘の金髪に染めた髪から黒い毛が10センチほど伸びていた。

母親にとっては、自由勝手に生きてきた娘が、末期を迎えて、在宅介護だっただろう。

在宅死に二人で向き合って、二人の回復にもなっただろう。

 

 

認知症の妻を、公的援助に頼らずに世話してきた夫。

医者は、当然使える公的援助を受けることを勧める。

ヘルパーが訪れ、一年ぶりに、在宅風呂が用意された。

気持ちが良いと喜んでいる様子だった妻は、もういらないと拒む。

人が来ると、落ち着かない、嫌だ、と言う。

気兼ねだ、と言う。

自分で入るから。

認知症の妻は,気兼ねのない夫が良い。

認知症になっても、本質のところは譲れない砦を持っている。

 

 

 

 

 

玉置浩二

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昨夜、フェスティバルホールから帰って、ものたりなさを埋めたくて、玉置浩二のブルーレーディスクをかけた。

この前に、去年、プルミエールコンサートでもらったディスク。

今年は、値段が500円上がってて、特製プログラム付きというのが、ペラペラのチラシのようなもので、確かに特製。

ディスクは、2017年の横浜での公演で、子供達と、清く正しく美しく、を歌っている。

、玉置浩二のインタビューと、舞台が交互にでて、興味深い。

 

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本物を聴かないと、満足感がないので、玉置を聴きたくなったから。

本物という意味は、感性を揺さぶられる、魂にゆだねて自然に歌い上げる歌。

 

 

シンフォニーオーケストラと、玉置浩二と、会場とが、完全に呼応した素晴らしいコンサート。

 

わたしの好きな歌は、沢山あるけど、行かないで、すごく好き。

メロデイも。アンコールの終わりはメロデイだから、帰り道、ずっと口ずさんでいる。

予感が残っている間、ずっと。

プールでもしばらく止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ミュージカルミーツ

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ロンドンのウエストで、オペラ座の怪人を2000回ロングランを続けたという、ジョン、オーエン、ジョーンズは、8回目の来日公演。

今年初参加の、ノーム、ルイスは、ブロードウエイで活躍してきる。

テレビドラマにも出ている人気の高い人らしい。

私は、レ、ミゼラブルで、夢の饗宴、というキャッチフレーズに惹かれて。

第一部の終わりに、オペラ座の怪人を、二部の最後に、レ、ミゼラブルが歌われた。

 

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二人の火花が激しくて、ノームルイスの拍手が大きくて、次に出てくる、ジョン、オーエンは、より以上に上手く歌おうと、凄い。

二人の歌はすごく上手なのはわかるのぁ だけど、

力を入れすぎの感がきになつたり、ノームルイスの、歌の節の後に引き上げる調子が拳を上げるみたいで、気になって。

会場は皆さん、満足してのようだったけど、

日本人の歌手が、下力があまりにちがつて、釣り合わない。

東京から公演を終えて、大阪ははじめて。

ノームルイスの、スターに続き、ジョンオーエンが、カミングホーム、を歌って、最後のアンコールは、革命の歌で終わった。

大好きなミュージカルの、オペラ座の夜の怪人と、レ、ミゼラブル。

 

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オペラ座の怪人の悲しさが聞こえず、レミゼラブルの、ジャベールの孤独で孤高の寂しさと、ジャンバルジャンの、力つきるまで、神の意向に従おうと努力して来た老いた身体から、絞り出される祈りが聞こえなかった。聞かせようという意識が働いて、華麗に歌おうとしすぎて。

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我が家のシクラメンは、六月に入っても、まだ咲き続けています。

 

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ミュージカル、ミーツ、シンフォニー2018

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フェスティバルホールで、ミュージカルミーツ、シンフォニー、というタイトルのコンサートがあって、ブロードウエイの歌詞やが、レ、ミゼラブルを歌いと買いてたので、行きたいと思ってたけど、そこまで買えないと諦めていた。

ラクサというクーポンサイトで、半額で売られてて、半額なら買わない手はないと買った。

定価は11800円だから、5900円で買った。

 

 

以前にクーポンサイトで、シンフォニーホールのチケットを買ったことがあつて、最上階のひどい席だった。

だから、S席といつても、三階とかだらうと期待はしていない。

でも、引き換えに早めに行けば、ましな席がもらえるかも。

早く行くと、誰もが来ていない。

30分ほどまつていたら、会場があいて、入場はまだだけと、並びだした。

ラクサ、クマボン、グルーポン、と買いてるブースがあって、一人並んでいた。

その人は、音楽関係の学生のようで、三階席を1800円だとか言われていた。

私はプリントしたものを見せると、チェックして、名前。確かめてから、一枚くれた。

なんと、一階の席。

後ろではあるけれど、こんな席もらえるのだと感激。

おなかすいてたまらないので、地下のうどん屋さんに入った。

この前は、終了です、と言われた店。

鰻セットにした。880円。安い。

 

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セルフの讃岐うどん屋さん。

 

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錦糸卵がいっぱい乗って、美味しい。

開幕まで時間あるので。

コンサートの感想はまた。

玉置浩二、フェスティバルホールでのコンサート

 

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今夜は、フェステイバルホールでの玉置浩二、プルミエールシンフォニーコンサートの、2018年に行ってきました。

朝から、当日券を、流通チケットで売っているのを調べて、単品のチケットが帰るのがあつたので、すぐに購入しました。

プレミアつけて売っているのは、前から五番目というのもあつたのですが、二枚人組でないと買えないし、値段も高い。

 

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定価で譲ってくれるチケットが、一階の27列目の40番台と書いていて、飛びついたわけです。

手数料とかで12580円でした。

連絡を待っていたのですが、お昼になっても連絡なくて、心配ななったりしてましたが、無事に、フェスティバルホールの前でチケットを受け取ることができました。

お昼に友人と約束してて、道頓堀なある、長次郎で、お寿司を食べて、時々連絡がないかとチェック。

友人と分かれてから、約束の6時まで、時間つぶしにずいぶん歩いて、フェスティバルホールで、20分も早くから待っていたのです。

足が熱を帯びて疲れ切っていたのですが、コンサートが始まると、疲れは吹っ飛んで、幸せ一杯。

玉置浩二は、ますます上手くなって、声も良くなっていきます。

 

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玉置浩二もわたしも同じ、憩室炎の持ち主です。

舞台に穴を開けて、病院で苦しい思いを二回味わって、玉置は、お酒をやめたよう。

今は、シンフォニーの作曲を意欲的に取り組み、オークストラをバックに、玉置の歌声が、オーケストラの溶け込みながら、競い合い、共鳴し合う素晴らしいコンサートを主にやつているので、玉置浩二が穴をあけるわけにはいかなくなつたのでしよう。

身体の管理に気をつけて、歌のために人生を捧げているので、声も頭進化しているのでしよう。

若い人も多く、ファンは増え続ける一方で、チケットの入手は難しくなるばかり。

やっと手に入れたチケット、最高でした。

日本センチュリー交響楽団の演奏も息があって、盛り上がって、すごく良かった。

題目はほとんど、去年と一緒。

アンコールも、田園とメロディ。

聞くたびに良くなるから、何度も聞きたくなる。