昨日の朝、庭で野菜の出来具合を見ていたら、身体が揺れて、強風かと思ったが、これは違う、地震だ、と。
隣近所の人が外に出てきて、話している。
やはり地震だった。
家の中にいるよりも、揺れを感じなかつた。
土が柔らかいのでクッションになるのかしら。
テレビをつけると、震度6弱。
家の中のものは何の変化もない。
テレビでも詳しいことはまだ入ってなくて、大したことなくてよかったと思ってたら、時間が経つにつれて、衝撃的な映像も入ってくる。
友人から電話をかけてくれたらしく、かけ直したら、回線が混雑とかで、ずっとかからなかった。
電話があって、広島から。
息子のお嫁さんのお母さんから。
京都にご家族が住んでおられる。
私は阪神大震災を体験しているのだけど、時間がいつのまにか、恐怖心を記憶の底に沈めている。
何年かは、わずかな揺れも、心臓がおかしくなるほどビクッとしたのに。
靴と懐中電灯をベッドのそばに置いて、お風呂に水を絶やさないようにしていたことも、いつの間にやら。
断水して、給水車に並ぶ人達を見て、また、気持ちを引き締めなくちゃと学び直した。
それでも簡単に考えていたらしく、午後、母のところに行くと、エレベーターが止まって、
入居者は、朝食中だったので、エレベーターの点検が来るまで、長い時間、ダイニングに閉じ込められていたそう。
危険を察知すればエレベーターが停止するのは良いけど、
点検再開まで、きてもらえる時間がわからないという不便さ。
階段を上がれる入居者はいない。
私が行くと、今さっきやっとエレベーターが動くようになって、母も、部屋にいるとのこと。
しばらくいて、コナミに行くと、駐車場に、全館配管のラベルが。
そうだよね。
電車走ってないし、営業できない、と思いながら、踏切を渡って、家に帰る道、近くのガーデンズも、暗い。
それからが大変。
車が渋滞してなかなか前に進まない。
いつもは30分で帰る道を、1時間20分以上かかった。
ても、私はずっと楽させてもらっている。
車の中でテレビに映る人達は、朝からずっと待たされている。
思い余って、歩いて帰る人たちの列。
東北地震の時に、玉三郎も、わずかな距離を4時間くらいかかつて、車の中にいたと言っていた。
玉三郎は、地震にあっても、ベッドから動かないそう。
このまま死んでも構わないと。
阪神大震災で、外界の音信を一切立たれて、ただやるべきことに一生懸命だった時、大変な思いをしながら、母と事後処理に明け暮れていた時、何も考えなかった、
水もガスもライフラインが閉ざされても、生きているかが不思議に思えた。
多くの人が亡くなり、町は崩壊状態だつたから。
今回の地震は、まだ大きくない。
南海トラフの前に、起こったという解説者も。
南海トラフの予行演習だとしても、巨大地震が起これば、何も学んだことにならないかもしれないほど、予測不能な自体になるのではないかと懸念する。
何ができるのだろうか?