映画「万引き家族」を、西宮ガーデンズで観ました。
時間が合わなくて、なかなか観られなかったのです。
映画館はがら空きでした。
是枝監督作品の中で、最もドキュメンタリー風にできているのでは?
樹木希林が入れ歯を外して、リアリティのあるお婆さん役に徹していながら、演技しているという感じが全くなくて、すごい人です。
是枝監督作品で、「そして父になる」では、スノッブでエリート意識の強い夫婦と、開けっぴろげで、教育もないけれど、あったかい夫婦の、子供が病院で間違えられていたことがわかり、血のつながりとは関係なく、愛することの意味を問いかけた。
万引き家族、においても、メインのテーマは同じだけれど、
社会からドロップアウトせざるをえなかった、社会の歪みと、弱者が寄り添って、孤独を温め合うかのように、息を潜めながらも、笑いを生み出す、より集まりの、血のつながりのない、偽りの家族を描きながら、本当の家族とは?を問いかける。
店にあるものは、誰のものでもない、というセリフが、万引きを強要される、幼い子供に納得のいく言葉になっている。
この言葉は、まさにフランス人に共感を呼ぶ言葉なのだ。
レ、ミゼラブルにおいて、ひとかけらのパンを盗んで、社会に憎しみしか抱けなかったジャンバルジャンが、僧院で銀の食器を盗んで逃亡し、捕まった時に、それは差し上げたもの、まだ忘れているものがあると、神父は、神の愛の捧げものを差し出す。
愛に触れて、変わるジャンバルジャン。ユゴーは、善と悪とが隣り合わせに存在し、それは常に存在し、生きる術でもあって、そういう社会問題を、愛によって、人道的な、善へと向かう希望を描く。
是枝監督が、描くたいものも、そういうものではないかと思う。
カンヌ映画祭で、審査員の心を掴んだのも、頷ける作品に仕上がっていた。