青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

現実を見る

 

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政治の腐敗を止める手立てはない現実。

安倍一強政治において、権力の行使がエスカレートしていく。

なにをどう批判しても、虚しく響くだけ。

真実は、もはや、虚構の中でしか存在しない。

楽しいこと、心に触れることを求めて、美的世界を生きる糧にしているわたしだけど、

現実を見つめなければならない場面も存在する。

昨夜、テレビで紹介された、在宅死、のドキュメンタリーは、目を背けたいが、背けるわけにはいかない現実。

家庭で家族の強力で穏やかな死を迎える人達を支えているのは、家族の深い愛と献身的な介護と、それを支え見守り、穏やかな死を迎えさせてあげようと在宅医師の、最良の方法を提供しようとする努力。

 

103歳になる、母親と同居してきた、息子夫婦。

奥さんが言う。

これ以上の介護はできないくらい、夫はよくやってきた、と。

親孝行で、母親が大好きな息子だろう。

矍鑠として、上品な母親は、おそらく、それまでは自分のことをある程度の助けに支えながらも、やってきたのだろう。

一週間の下痢が続き、肛門が緩んで、夜中何度もトイレに連れて行っていた息子。

在宅医は、リハビリパンツを勧める。

高齢の息子達の体力の限界を心配して、在宅医は、ショートステイを母親に促す。

息子達はショートステイではなく、施設への入居になることを承諾している。

行ったことあるから、覚えているでしょ。医者は母親を説得する。

 

息子さん達の負担を考えて、ショートステイしましょう。息子さん達に温泉でも行ってもらいましょう。

母親は、

良いとこじゃないの、わたしはここで、ひとりで留守番しますから、息子達は出かけたら良いです。

 

母親は、自分でなんとかやれるのではないかと思っている。やれなくても、ある程度の助けをお願いして、家にいたい。

穏やかで、迷惑をかけてかけることを極力避けてきたような母親だと思う。

 

施設にいる人たちを見ているから、わかる。

誰だって、気兼ねのない我が家が一番。

だが、医者に促され、決心する。

103歳の母親は、車椅子を使っているが、歩いて車に乗り込めるので、ある程度歩ける人。

奥さんはホッとした様子。息子は辛そう。

 

もっとも介護に難しい、盲目の娘が、肺がん末期の父親の看病をしている。

7歳に失明した娘と両親。母親を去年見送った夫は、自らも肺がんの末期だった。

二人の世話をしてきた父親は、盲目の娘が心配で、病院に入院せずに、家の戻った。

動けなくなって、盲目の娘は、近くにいる親戚の助けを受けながら、料理を覚え、父親の看病をする。

50代の盲目の娘の、優しい天使のような声が美しい。

訪問医は理由をつけては、訪問して見守り、娘に父親の最後の容態を察知して電話することを教える。

最後の時が来て、集まる親族。医者は、娘に、喉のところに手を当てさせて、弱い呼吸が止まる時間が迫っていると告げる。

静かに手を当てて、命の尽きる時を待つ娘は。

医者は家族を残して外に出る。

死亡時刻は、娘の時計で。

 

 

子宮頚がんの末期の娘と、在宅で介護する母親。

娘はモルヒネを使うことを躊躇して、吐き気に苦しむ。

77歳の母親は、娘の看病に、精神的にも限界だと在宅医に訴える。

娘の一進一退の症状。

娘は、

母親と逆だったら良かったと言う。

娘は、母親が、良い顔を見せるが、事実はひどいものだと。

在宅医は、症状が悪くなる現実を淡々と伝える。痛みなく、安らかに死を迎える

ことが医者と患者、家族の目標になることを伝える。

娘は死を受け入れて、モルヒネを吸引するようになり、自分ではそれもできなくなると、医者は

母親に使い方を教える。

苦しまずに穏やかな死。

母親に涙はない。娘を24時間付き添って、看病し、人間の死を受け止めて。

母親と娘は、きっと罵倒と罵りあったこともあっただろう。

60近い娘の金髪に染めた髪から黒い毛が10センチほど伸びていた。

母親にとっては、自由勝手に生きてきた娘が、末期を迎えて、在宅介護だっただろう。

在宅死に二人で向き合って、二人の回復にもなっただろう。

 

 

認知症の妻を、公的援助に頼らずに世話してきた夫。

医者は、当然使える公的援助を受けることを勧める。

ヘルパーが訪れ、一年ぶりに、在宅風呂が用意された。

気持ちが良いと喜んでいる様子だった妻は、もういらないと拒む。

人が来ると、落ち着かない、嫌だ、と言う。

気兼ねだ、と言う。

自分で入るから。

認知症の妻は,気兼ねのない夫が良い。

認知症になっても、本質のところは譲れない砦を持っている。