これで決まった。
ダイナースクラブの会誌に、伊衆院静が、熊谷守一展に、二度足を運んだと、連載のエッセイに書いていた。
今回は、マイレージで飛行機が取れず、2泊にした東京での滞在。
帰る日は、飛行機が午後の4時。
いつもは、芝居が終わると慌てて空港に直行するのだけど、時間がある。
吉田さんの娘さんにお会いしたいと思っていたので、お電話して、と考えていたのだけど、
伊衆院静のエッセイで、熊谷守一展が開催中だと知って、行かずにはいられなかった。
ホテルは週末は、チェックアウトが1時なので、ゆっくりもできたけれど。
暖かいという予報だったので、中のダウンを抜いて出てきたら、寒い。
美術館は、人形町から、茅場町で乗り換えて、東西線で15分くらいだった。
入場料は1500円。割引はない。JAFを持っていれば100円引いてくれるが、家に置いてきた。
イヤフォーンガイド解説は、樹木希林と山崎努なので借りた。550円の贅沢。
若い頃の熊谷守一は、暗い中で蝋燭を灯して、自画像を描いている。
暗闇の中の光に映る人間を描こうと。
光は、やがて、赤の線で、輪郭を描くことに変化して行く。
熊谷は、裸婦をたくさん描いている。顔がない。
なぜ顔がないのかと聞かれて、愛着がわくからだと答えている。
顔と手足が漠然としていることで、裸婦の形が強調され、動きが生まれる。
熊谷の礫死、という絵は、ほとんど黒くて、輪郭がはっきりしない。
列車に飛び込んで死んだ女性を目撃した衝撃は、光と陰を追求する熊谷の生涯のテーマになった。
熊谷守一は、守一を探す長い旅の始まりにもなっている。
1928年に描いたひまわり
1957年に描いたひまわり
1931年に描いた、轢死を踏まえた作品と思われる、夜というタイトル。
熊谷の人生は、子供を幼くして無くし、家の没落、両親の早い死、極貧の生活の経験など、暗い闇を体験しながら、自然が人間の目にどう見えるかを探求し、色と色、音と色、形と色、光と陰影を、守一の目に見える形と線で、動的に描いている。
代表作の一枚、雨滴、は、水の音が聞こえてくるよう。
沢山の作品は、ほとんどが4号のサイズ。
聞かれて、熊谷は、家にある枠が4号だったから、と言っている。
4号の絵は、日本の狭い部屋に、最も見やすく、かけて安定しているように思う。
1959年の、噴水。
沢山出品されていて、二時間あればと思ってたけど、時間が足りない。
熊谷守一の絵は好きだという人が多い。
1960年、鬼百合に揚羽蝶
海外でも、熊谷守一を高く評価する人が多い。
形の単純化で、色が生き、動きが出ている。赤の線が、中の色を浮かび上がらせもすれば、沈ませもする効果になっている。
熊谷守一は、同じ絵を何度も描きなおしている。時間を経て、絵が進化して行く。
白猫
眠り猫
次女が赤ちゃんを抱いている姿を捉えて描いた、
あかんぼを。1965年の作品
1961年、雨乞いだな
1936年に描いた、雨乞い山
何度も描いていれば、そのうちにマシなものができて行く、と言う。
健康だった頃は、出かけて、自然を眺めて描いていたが、健康が心配されるようになると庭で、生物を観察しながら、絵を描いた。
かつて、出かけて描いた風景のスケッチを、トレーシングペーパーに移して、描きなおすという方法もとっている。
好きで絵を描いているのではありません。
石ころ一つ、紙くず一枚を見ていると飽きることがありません。
1967年、月夜
70半ばで病気になり、以後はほとんど庭で過ごした。
1960年、畳
1962年、畳の裸婦
自然のエネルギーが、熊谷を生きる喜びに誘い、沢山の試作に導いたのだろう。
熊谷守一展は、生きる喜び、というテーマが付いている。
猫が可愛い。さまざまな猫。一匹づつ違った個性を形と色と的確な線の運びで描いている。
簡素な生き方を楽しんだように、絵も簡素で美しい。