青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

pcr 検査と人権

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PCR検査の必要性が叫ばれているのに、

検査が進まないわけが、

人権のあるという。

強制できない法律だから、要請に止まる。

無自覚の感染者は、自宅待機を希望をすれば、

ホテルを用意していても、強制力がない。

感染者のプライバシーで、感染経路のわからない、あるいは、言わない

感染者。

PCR検査を拒否する権利も守られている。

日本は、強制力がないのは良いことないだけど、

人に感染を広げるリスクがあるときにも、

個人の人権を誤った形で認めざるを得ない。

そういう国の進まない対応を含めて、

国民は、窮状を訴え、国に不信感を持っている。

コロナが、目に見えない感染の怖さを持っているので、

人間関係にも、不信感が出ている。

コロナに、楽観的な若い人達は、好きな場所で、好きなように振る舞う。

彼らはテレビも見ないし、政治に関心なく、情報に不信感を持っている。

 

高齢者に及ぶと言われれたら、高齢者は引っ込んでろ、と

内心思っているだろうと想像できる。

不満だらけの、エネルギーが一杯の若い人達は、

コロナの鬱陶しさを、発散したくてたまらない。

 

日本は、人権が守られているので、

国民は、何か有れば、国が助けてくれる、と

依存型の精神構造が定着している。

 

が、国が、機能不全に陥っている。

蔵は放出して空っぽ。

消費を促進しても金を流通させ、

経済を優先したい。

 

私が思うのは、

安全と経済を両立させるには、

経済活動を支えるための保証が必要。

 

安全を担保するためには、個人の自由を

担保しては、できない。

自由か、強制か、どちらかを選択する必要がある。

自由を選ぶなら、国がどうあれ、

個人の選択にゆだねられる。

 

感染が広がるのも、容認せざるを得ない。

他者に、節度を求めるなら、自分も節度を持つべきだけど、

相手に何も期待できないことも認めなければならない。

 

全員検査ができている国は、強制力で、実行可能になっている。

強制があるから、国は国民を守る義務もある。

 

日本は、個人の人権を尊重するという、素晴らしい国

だけれど、パニックになったときには、何もできないで、

なすがままに。

国民の税金で、賄えるうちは、やれるこちだけやって、

焼け石に水。

 

お願いは、お祈りに似ている。

国民の良識と自発的な協力に訴える。

 

そんなの関係ない、

という声が聞こえるように思う。

手洗いとマスク、市中感染を、頭に入れて、

個人が、身を守る方法を身につけなければ、

ならない。

ヨーロッパ的、社会保証主義と、アメリカの自由主義

の、メランジェで、混沌という言葉が、日本の

現状のように思う。