アップミュージックは、玉置のアルバムも、沢山入っていて、どれを聴けば良いのか。と思うほど。
車に乗ると、すぐに、音楽が流れる。
ずっと昔、アンプルから、購入した、クラシック名曲集、というのがあって、車に乗ると、それに繋がるのだけど、音楽として聴けなかった。
そのアルバムも、iPhoneで、ほかのことしながら、
流れるようになった
母のそばで。音楽をかけると、聴き入っている。
分野を問わず、莫大な数の音楽が、入っているので、
これは値打ちがある。
無料期間が過ぎても、続けるつもり。
玉置が、今、同じ歌を歌っていても、全く別物だと言うように、
若き頃の声と歌い方と、今のは、大違い。
毎年、進化していく。
音楽の高みは、上り詰めても、その先がある、という玉置。
コンサートの前は、歌に集中するので、人と話ししている間はない。
コンサートが終わると、歌の余韻を残したまま帰るなで。人と話ができない、真っ直ぐに家に帰って、
次のコンサートに備える。
音楽のために、生活がある。
奥さんが。かなりルーティンはあります、という。
繰り返し、繰り返し、歌うこと、最高の歌を歌えるためにに、日々の生活が組まれていく。
毎日の繰り返しの努力が、素晴らしい歌声となって、観客を魅了する。
言葉の壁を超えて、直接。人の心に届く。
音楽は、言葉を必要しない。言葉の以前にあるもの。
神の愛を人間に届けるための、手段として音楽は発生したのだから、玉置が神対応、と評されるのは、
そういうところから来ているのかも。
わたしはクラシック音楽が好きなので、言葉のない音楽を聴くことが多かつた。オペラが好きなので、
オペラ座に足を運んだり。
一度、玉置の若い頃のリサイタルを、神戸文化ホールで聞きに行ったことがある。
玉置がテレビのドラマに出ていて、その主題歌がとても気に入り、玉置の素朴な優しさが良いなあと思ったから。
だけど、それ以来行かなかった。
クラシックの交響楽団と歌うようになつてから、すっかり魅了させられ、それ以来、玉置の歌を聴くようになった。
今聞いても、若い頃の玉置の歌は、物足りない、
進化した玉置の声は、素晴らしい楽器のようでもあり、オペラ歌手の喉としても、素晴らしい。
心で歌っているから、魂の叫びにも聞こえる。
音域はすごくて、優しさに溢れた美しさがある。
自由自在に出る声。
玉置のなにが良いの?と聞かれたら、こんなところかな。