去年の7月に、追加公演それた、玉置の、プルミエールコンサート、ゴールドステージの録画DVD
を聴きながら、夜ストレッチしている。
このコンサートで、玉置は、音楽評論家でもあり、プレスリーや、超大物の世界に名だたるアーティストを、日本に紹介した、湯川れい子と、対談している。
たった一度しか、玉置のコンサートを聴いたことないのですが、ものすごく感銘を受けて、ツイッターにも、書いている、と湯川さんの言葉から、始まる対談。
玉置の歌は、魂の深い領域まで達して、解放されて、自由に歌っているような気がする、と湯川さん。
玉置は、最近、様々なことに、負けなくなった、
ほとんど、自分なんですけどね、という。
他のことは全然だめなんですが、歌だけは、真剣に向き合って歌っている。
そうね。だめそうね。
世界の成功したアーティストは皆、究極のエゴ、そこまでの厳しさが求められる、と湯川さん。
玉置浩二の歌は、シンフォニーオーケストラとの競演で、オーケストラと、玉置も、進化しつつだけている。
歌い方が変わった。魂を込めて、歌い上げるようになった。
声が変わった。
さらに声量が増して、さらに美しい声になった。
それがどうして、そうなったのか?
青田典子という、玉置浩二を尊敬してやまない、素晴らしいパートナーを得たことも大きい。
弱い自分を克服できたことに大いに貢献をしていると思う。
玉置浩二が、憩室炎で、二回も、入院して、苦しんだことも。
以来、玉置は、お酒をやめて、毎朝、2時間の散歩と、北海道の、トマトジュースを飲んで、健康管理を怠らなくなった。
そして、母親が病気になって、コンサートの間、病院と行ったり帰ったらが、終わって、3ヶ月間、母親に付き添うことができた。
母親が亡くなってから、玉置の歌は、変わったという。
生きてる時は歌えなかったけれど、亡くなってからは、いつも心の中にいて、歌えるようになった。
自分に負けなくなった玉置。
とても弱かった玉置。
行かないで、と言ってきたのは、玉置浩二の方だという。作った頃は、この歌が歌えなかった、と。
行かないで、は、海外のビルボードで、世界の名曲に選ばれた。
行かないで、は、私も、一番好きかもしれない曲。
一番好きな玉置の曲は、ありすぎるて、一番だらけなんだけど。
湯川さんは、世界に二つ。大好きな、行かないでがつて、玉置と、とジャックソレルのをあげている。
80歳過ぎても、ちゃんと当たっていたい、
体調を管理して、と玉置。
そう。
ほとんどの敵は、自分の中にある。
自分に負けなくなったら、自由に羽ばたける。
玉置の歌は。作ったような気がしない。
歌が玉置浩二のような人。ピュアで、歌のまんまの人、と称するのは、ビルボードオーケストラを通じて、盟友になった柳原さん。