青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

クリスマスイブ

 

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クリスマスらしく、気温はぐっと下がりはじめ、雪になるところもあるらしく

クリスマスだから、と言って、何も予定はない。

昨夜、買って来た、クリスマスのチキンと赤ワインに、クリスマスソングでも聞ければ、

それはもう立派な孤独のパーティになって

 

更新ができたパソコンは、年賀状ソフトが全く使えない状態で、他のお気に入りも、箱になって、何かわからない。

もうこんなコンピューター、捨ててしまった方が良い。

 

今日は掃除をしなキャ、と開け放った窓から、冬将軍が入って、寒帯にいることにきずいたときには、

体が冷えきっていた。

母のところにも行けなかった。

外はすでに暗く、5時を回っている。

諦めて、熱いコーヒーを飲もうと、階下に降りると、

クリスマスプレゼントが届いた、という、ラインのメッセージが入っていた。

何か欲しいものあれば、と言って決めてもらったプレゼントは、パナソニックの沸騰コーヒーメーカーとかいうもので、人気商品らしい。

喜んでもらえると、心が豊かになり、温まる年になっている。

若い頃は、何もなくて、という玉置浩二の歌がある。

二人でいるだけで幸せだった。

 

そうかな。

若い頃は、何でも欲しかった。

ブランドにも憧れたし、家が欲しい、車が欲しい、欲しいものだらけ。

値段の高そうな洋服を着こなして、リッチな人に羨望を抱いたことも

あったし、美味しいものが、お腹いっぱい食べたかった。

 

クリスマスには、我が家で、クリスマスパーティをしたこともある。

私はすっかり忘れているのだけど、招待した

従姉妹が、楽しかった思い出が忘れられない、と言ってくれた。

 

友人がカップルできていて、ダンスしていたと妹が言う。

記憶の良い私が忘れていたこと。

妹は、仲の良さそうな二人を羨望の目で見ていたのだろうか。

 

そういえば、そういうことあったなあ。

私が覚えているのは、父がクリスマスの白い長靴に入ったお菓子を買って来てくれたこと。

父と母が、寝たふりしている私にそばで、プレゼントを置いてくれているのを知ったこと。

 

貧しい家に育ったわけじゃなかったけれど、大人中心の家に育ったから、子供用に特別なことは何もなかったから、友達の家に遊びに行くと、両親が働きに出ているので、子供に置いてあるおやつを分けてくれるのだけど、それがとても大きな愛情に思えて羨ましかった。

 

結婚して、子供が生まれて、クリスマスは、実家でパーティしたこともあるのだけど、

そのことよりも、鮮明に覚えているのは、別れた主人と息子の三人で過ごした、クリスマスイブのこと

 

レコードをかけて、クリスマスのチキンがあって、幼い息子が、はしゃいで踊ってたこと。

 

何もなくて、幸せだった一瞬の光景。

 

クリスマスイブは、マッチ売りの少女。

かじかんだ手に、

売り物の、マッチを擦って、わずかな暖を取り、雪の中で、寒さと飢えで死んで行った少女。

 

イエスキリストに、祝福されるのは、貧しさと優しさを備えて、天国に召される人達。

イエスの苦しみを、担って行く殉教者達。

 

貧しさや苦しみはなくても、そういう人たちに寄り添い、分け合う人達も、イエスに愛される人。

マリアテレサを慕って、その教会に参加した人達。

 

クリスマスは、クリスマスイブは、雪がふさわしい。

 

今年のクリスマスは、ギフトがしたかった。

私自身は、満ち足りて、幸せだから。

病気の人には、心が温まるように、食欲のわく食べ物や、心が温かくなるように、真っ赤なセーター。

お金がなくて、健康な若者には、腹一杯の満足。

欲しくて買いたくて、でも買えないもの。

少しだけ、ほんのわずかだけ、ギフト