青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

伊衆院静のエッセイが復活

 

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ダイナースの情報誌に掲載される、伊衆院静の、エッセイを読むのが

楽しみだった。

脳梗塞で倒れて以来、プッツリと途絶えてしまったエッセイ。

いつだったか、石橋のテレビ番組に出演して、元気になって、良かった、

と安堵していた。

今月にダイナース情報誌に、

旅と言葉、というタイトルで、第一回が投稿されているのを見つけた。

最近、情報誌が来ても、エッセイの楽しみがないので、ちらっとめくっては、

見ないで捨てることもある。

エッセイの写真は、まだ若い頃、パリのシャルルドゴール空港で、

出発便を待って読書しているのか。

エッセイの中で、36番ゲートだから南仏に行く時の写真だろうと。

2回の大変な手術を経て、執筆ができるようになった喜びと、

バルセロナの高台にある、ミロの、青の絵を見に行きたいと

綴られていて、沈んでいた私の心が、久しぶりに熱くなる。

バロセロナ

行きたいなあ。

たまらない気持ちが湧いてきた。

それに美術館。

長い間、本物の絵画を身近に見ていない。

パリから、ユーロパスを使って、初めてバロセロナに行った

思い出は強烈に残っている。

夜の8時にバロセロナに着き、ホテルに観光案内所に行くと、

どこも満員で、宿はないと言われた。

持っていった地球の歩き方に載っていた、カトリック女子宿泊所

に電話すると、空いていて、地下鉄での行き方を教えてもらい、

たどり着いたまでは良かった。

お腹が空いていて、荷物を置いて、来た道にあるバルに行った。

ワインと一品のつまみのような食事。

ホテルに戻ってくる道で、通りの道がわからなくて、あたりをぐるぐる回っていると、

グラナダファミリアがそびえたっていたり、こんなとろじゃないと、またぐるぐる。

通りにいた人に、カトリックの女子の宿泊ホテル、と英語で聞いても、誰も首を振るだけ。

何度もこもへんだったと思うあたりをうろついていたら、おじいさんが、私の形相に心配になって、

声をかけてくれた。

帰るホテルがわからない、というと、

おじいさんは、一つ一つ、通りの名前を言ってくれて、

聞き覚えのある名前が出てきて、それだ、と。

すぐ近くに通りはあって、やっとホテルに戻れた。

不思議なお爺さんが出てきて、助けてもらった。

野宿だと泣きそうになりながら、泣き顔だったに違いない。

その宿泊所には、一年も暮らしている人もいた。

ユースホテルの家版と言った感じで、一部屋に、共同のベッドがあり、

冷蔵庫も共同。

一泊1500円。

月単位では、27000円だとか。

一週間の滞在の間に、歩き回って、美術館を回った。

ダリの美術館に行った時は、お腹を壊していて、飲まず食わずで、1日。

美術館で、頭がふらついて、吐き気がして、失心しそう。

熱中症という言葉はずっと後になってからのこと。

ミロの美術館と聞くと、いつになったら行ける日が来るかしら。

アメリカに、ワクチン接種証明が義務付けられるらしく。

閉ざされた道の前で、いつまで立ち続けなければならないのだろうか。

 

ひつつ楽しみが復活した。

伊衆院静の、旅のエッセイ。