ダイナースの情報誌、シグネーチヤーが来ると、伊集院静の、エッセーを読むのが楽しみ。
飛行機の中でも、彼のエッセーは必ず読む。
エッセーは、一つのエピソードを、時々読むのに向いている。
しばらく、心に残るから。
今月は、京都を去って、東京に出て行く彼に、、お世話になった居酒屋の主人が、便りをしないように、と言われた事から、始まり、
親しく交わって、遊んでいた、友人が三年前に亡くなったことについて、
病院には一度見舞わなかった。電話では時々話していたけれど。
だから、元気な姿で、楽しかった二人の思い出が、
スラスラと書ける。
京都でお世話になった主人の言葉が心によみがえると書いている。
わたしにも思い当たる。
今年の冬に亡くなった友人は、家に来ることを拒んで、元気な時に。会いたいと言った。
電話では、時々話しした。
頑張るから、元気が出たわ、と友人は言ってくれた。
亡くなら前日にも、話ができた。
また、どこかに行こう。早く元気になりたい
暖かくなれば、きっと。
翌日、ご主人から、亡くなったと言う知らせ。
わたしは、駆けつけた。
お葬式が終わって、焼き場で、お骨を拾った時の
友人の姿が、焼き付いていて、
楽しかった二人の思い出は、どこかに。
明るい笑顔はどこに?
頭をよぎるのは、骸となった友人、変わり果てた姿。
エッセーのタイトルは
なんか、面白いことないか?
大切な友人だつたから、
楽しく、元気な姿を、わたしの脳裏に残したかつた。
彼女もそう望んだことだろう。
病気の療養中も、時々会えた時、電話で話しした時、いつも、元気だった。