青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

パリから電話

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バリに住む従姉妹からのでんわ。

夕ご飯済んだ?

丁度済ませたところ、

バリから無料でかけられるので、いつも従姉妹からかけてくれる。

一時間話すと切れるようになっていて、

また、かけ直して、もう切るわ、と言いながらも、

長くなる。

従姉妹がアトリエを利用してレストランをやるようになってから、赤木さん夫婦を、時々招待していた。

赤木さんは、パリの歴史資料館に、作品が収められているくらい、バリでは有名な画家で、

パンテオンのそばにある区役所で、展覧会を見に行ったことがかるが、お会いしたことはない。

10歳くらい年上の奥さんさんが、三年前に亡くなって、以来、バリの自宅に閉じこもりの生活をしていた。コロナ下にもバリにいたのだが、

日本に帰って、整理をしたいと、日本に帰ってきて、ホテルでの滞在隔離を終えて、岡山にやっと帰ったが、翌日亡くなられたという。

86歳くらいだとか。

 

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おそらく、日本に帰ろうと思われた段階で、

身体の自信がなくなっておられたのだろう。

すぐに岡山に帰ったのかと思っていた、と従姉妹は言う。

迎えにきてもらえるひとがいなかったのだろう。

自分でクルマを運転して帰ることもできず、ホテルでも隔離の間にも、相当のストレスだったに違いない。

子供もなく、財産は、血縁の人達が受け継ぐのだろうけれど、後が大変。

フランスは、ものすごい量の書類を提出しなければならないらしい。

スリランカに帰った友人からやっとメールが届いた。

ドイツにある、ご主人の遺言を、何ヶ月も経った今、やっと公開できるようになったとか。

皆、それぞれに整理がいつもあたまにある生活になっている。

パリの友人達は、ほとんど日本に帰ったとか。

従姉妹の友人が、肺がんで今年からもたないかもわからないのが心配だとか。

あまり良い話は聞かなくなった。

バリからの電話にも、パリの香りがしなくなった。

コロナは、世界を変える。