草抜きは、ゴミ出しの日に、収集車が来るまでに。
草抜きが嫌いなので、腰が上がらない草抜き。
月曜日の収集車が少し遅いので、その間に、草抜きすると、はかどる。
草抜きは、不毛の戦いなので、生え放題にしていた。
庭師に手入れの時に、草抜きもお願いするのだけど、庭師のブライドがあって、草抜きはやらない、とどこかで聞いてから、草抜きをある程度は、やっておかないのと、という気になった。
家付の宿命だと、いうひとがいた。
気持ちの良い環境に住めることで、草抜きは宿命だと。
その方は、1日に2時間は草抜きするのだそう。
裏の奥さんは、庭いじりの大好きなひとで、一日中、庭にいるらしい。
庭のテーブルに座って、新聞を読みながら、コーヒータイムを楽しんだり、草抜きしたり。
素晴らしい庭、お花がいっぱい。
外から見ても綺麗だなあ、と目の保養をさせてもらっている。
わたしには、そんな悠長な時間はない。
せいぜい、ゴミ出しの日に、ビニール袋に、一杯になるまで、せっせと草抜き。
それくらいのたいしたことない作業でも、収集車の音楽が聴こえて、慌てて持っていつたあと、
爽やかな気分になる。
それにしても、草は、強い。
元気で強い。再生力もすごい。
柔な花はすぐに枯れる。
人間も自然も同じ。
困難な環境にあってこそ、たくましい人間が育って
いく。
不幸は、幸福へのパスポート。
コロナで大変な状況だけど、
開けない夜はないように、希望を捨てない。
こういう時だからこそ、体力を鍛えて、
外部の情報に、アンテナ働かせて、
どう動けば、動ける道を模索して、
突破口を見出せるように、地下でも力を
蓄えておく時期じゃないかなと思う。
もうダメ、という言葉は禁句。
まだやれることがある。きっと、良くなる。
わたしは、筋トレも、そんなふうに、
自分に厳しくしなくちゃ、先の筋肉はつかない。
丈夫な身体は手に入らない、と思っている。
ガタガタなんだけど。