青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

キスミーケート、西宮芸術センター

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西宮芸術センターで、13日までやつている、キスミーケート、という、ミュージカルを観ました。

松平健と一路真輝、の主演で、川崎麻世、も出ていました。

他の人は、ほとんど知らない人ばかり。

後でわかったのは、スギちゃんこと、杉山英司。

中ホールで、席は前から10番目。

皆マイクをつけているので、音響はガンガン。

みなさん、一生懸命舞台を勤めているのは伝わるのですが、物足りなく、退屈しました。

当日券も残っているようです,,

A席が6000円なので、ミュージカルとしては、安いのです。

 

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終わって、そじ坊、で、本格ワサビ付きの、ざるそばをいただきました。

蕎麦は、ざるがいちばん美味しい。シンプルで、蕎麦そのものの味と、ツユの美味しさがわかります。

中途半端な時間でもいり、これくらいが丁度良い。

 

母の笑顔

 

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母が、歯を見せて笑った。

心から楽しそうに笑っている。

妹と久しぶりに、母の施設で待ち合わせた。

私と妹が、久しぶりに会ったので、母を囲んで二人が話をしていたら、

母も、会話に加わるように、言葉を発して、話し始めた。

顔は満面の笑顔。

いつもは口を噤んで、食べてもらうのに、口を開けるタイミングが難しくなっている母が、

歯を見せて笑ってくれた。

妹も、見たことのないという笑顔。

朝だからなのか、話し声で、娘達と一緒にいることを理解しているのか。

嬉しかった。

こんな笑顔を忘れていないのだ。

施設の職員に帰りがけ、母がよく笑って、話をしたというと、

朝食も、良く食べたとのこと。

母の体調も良かったよう。

老人の体調は めまぐるしく変化する。

時折、熱が出て、寝込むと、もうダメかなと不安になる。

二、三日寝込んで、再び起きて食事もダイニングで取れるようになると、

まだまだ、大丈夫、と楽観視したくなる。

今日は、お盆のお供えを持って、お参りに行く予定で、妹と待ち合わせをしていた。

昼食時に、施設を出て、すぐ近くに住む、弟に家に行き、久しぶりに、弟のお嫁さんと3人、話の花が咲いて 長居をさせて  もらった。

楽しかった。

 

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梅田に出て、妹と遅いランチは、軽いものが良いというので、お蕎麦。

夕食が近い時間だったから。

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私の心配性に反して、妹には、母はまだまだ元気で長生きするように映っている。

そう言われると、気が楽になる。

最近では、母の体調を見ては、ネットで調べたり。

認知症の末期の症状だとか、末期ではどれくらい生きられるだろうか、とか。

友人のお母さんが亡くなられて、どれだけ悲しいだろうか、と私は自分の場合を想像して

訊ねるのだけど、全く悲しくない、と言う答えが帰ってきたりする。

あまり訪ねて行かなかった人は、それほどの実感も持たないよう。

訪ねて、嫌な顔されると、それが足を遠のかせる。行かないから、忘れられると言う悪循環。

でも、そう言う疎外感が、悲しみも薄れさせる。

私は、母の笑顔を見ることが目的のように、母の施設に通っている。

笑顔のない時の辛さと、母が笑ってくれる時の幸せ。

母は私の生き甲斐になっていることが自覚される。

母の死は、想像しては みるものの、到底耐えられそうにない。

笑顔があるから、耐えられそうにない。

母の小さな肩を抱くように、母の胸に顔をつけ、私は、母の

に抱かれている。優しい母の手が私を包む。

 

 

 

 

卵とコレステロール

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卵は、コレステロールが高いので、1日一個までしか食べちゃいけないと思っていた。

昨夜、猿之助が出ているので、思わず 見てしまった番組。

本当はどっちが正しいのかを判定する。

猿之助は、素顔が可愛くてとても素敵。

頭も良くて、勉強家だけど、気取りが なくて、感じが良い。

長生きしたい、110歳くらいまで生きたいのだそう。

誰でも、健康で長生きしたい。

卵は、日に3,四個まで食べても良い。コレステロールの数値とは関係ない。卵は、糖尿病の人には

とても良い。糖分がないから。

昔から、病には、滋養栄養のある卵が重宝されていた。

お肉、特に豚肉を、トンカツにして食べるのが良いらしい。

それから毎日、アイスクリーム。

どれも、控えてたものばかり。

 

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卵もトンカツも、アイスクリームも、大好きなものばかり。

パンよりもご飯の方が長生き出来る。

咀嚼に良いから。

誤嚥性肺炎肺炎を防ぐには、咀嚼が一役買っている。咀嚼が良く出来るためには、踏ん張る力が必要。

歩けなくなると、噛む力も弱くなる。

 認知症予防にためにも、これらは有効だそう。

、ご飯が良いというので、朝はご飯に変えようかしら。

熱々のご飯に、卵かけ。

納豆を卵に溶いて ご飯かけ。

気にしないで卵が食べられたら、お好み焼きや、明石焼き。

フランスのアンボワーズという、お城のある小さな街で、フランス語の短期留学で、30日間滞在したことがあった。

ホームステイを選んだ。

私の他に、スイスから参加した男の人が、その家でお世話になった。

出てくる食事が、毎日、卵とサラダばかり。

子供たちが出て行き、夫婦だけのお宅で、ご夫婦共にスリムで、健康オタク。ランニングを欠かさない。

卵をこんなに沢山食べたら、コレステロールが気になって、聞いて見たら、

日に、2,三個の卵は大丈夫、多すぎないといわれた。

ゆで卵がほとんどで、簡単だから、料理しなくて良いからだろうと思っていた。

昨夜の番組で、卵を沢山食べている人は、頭もクリアで、長寿で健康だとわかった。

卵とコレステロールの関係を検査した結果、体内に入ると、関係なくなるのだとか。

コレステロールは脳作用の影響が大きいそうで、だからストレスが一番関係している。

私のコレステロール値は、心配性に由来しているのだろう。

この前も、歯医者で言われた。

先の心配しなくて良い、と。

なるようにしかならないと、どんと構えていたら、コレステロールも、動脈硬化の心配も

ないのだろう。

コレステロールの心配をするという、心配が悪玉コレステロールを増大させる。

薬の効果は、飲んでいるという安心感の方が大きい、ということなのかも。

 

 

玉三郎の八千代座

 

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八千代座は、玉三郎にとって、我が家のような芝居小屋で、廃屋になっていた、八千代座を蘇らせた。

八千代座実行委員会の人たちは、玉三郎の家族のように、 公演のお世話をしている。

昨年は、先行申し込みの期間が過ぎてしまって、ヤフーのオークションに出ていたものが手に入ったので行けたので、今年は案内が来ないかもしれないと思っていたけれど、玉三郎の直筆のコピーで、丁寧なお手紙を添えて、案内が届いた。

 

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体力的に封印されていた、京鹿の子娘道成寺と、鷺娘を、映像を使って、玉三郎の踊りを入れて、解説するという形なら、出来ると考えて、いつもは一回のところ、今年は、昼夜、二回公演。

どちらかの舞台を見る人もいるので、口上は、どちらにも。

京鹿の子娘道成寺は、激しい踊りなので、玉三郎は、二人娘道成寺とか、五人でとかで、踊っている。

八千代座では、玉三郎の一人舞台で、20分ほどの踊りの合間に長い休憩を挟んで、2つ踊るというのが、これまでのパターンだった。

遠くから新幹線や飛行機を使って、日帰りで来ていた人たちには、きついスケジュール。

送迎のバスの手配は、朝早く、帰りは遅い時間の設定。

私はいつも熊本に二泊して、玉手から無料のバスに乗せてもらっていたので、熊本に二泊すれば、二回公演を1日で観ることができるのだけど、今年は、八千代座の近くに宿をとって、午後の部と翌朝、午前の部を観て、帰ってこようかと考えたり。

先行予約なので、座席の希望はリクエスト出来るけれど、あてがわれる席はお任せ。

からない。

10月の31日から、11月の5日まで。

5日は昼の部だけ。

 

SS席12000円、S席10000円、A席8000円。

玉三郎の舞台としては、安い設定になつている。

通しは、1000円引き。

山鹿は、のどかな里山。玉三郎は、温泉にひたって、英気を養う故郷。山鹿の人たちは、家族のよう。

 

今年で27年目だそう。

 

 

広島、我が愛、hirosima mon amour

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CSの映画放送で、「hirosima mon amur」を観ました。

マルグリット デュラスが脚本を担当、アランレネのデビュー作。

今日、広島の原爆記念日に、ふさわしい作品だと思って、取り上げました。

この映画は、一般上映向きではないと、当時は不評だったようですが、キネマでは高く評価されていました。

フランスでも関心は少なかったようですが、その後、この映画の価値は再評価され、

今は、各国で上映され、人々の共感を得るようになっているようです。

昭和58年の広島での、互いに傷を持つ男女の、「二十4時間の情事」という、日本名で当事は、上映されました。

今は 原名をそのまま翻訳した「広島、我が愛」に変えています。

 

ノーモア、広島。

もう二度と広島に落とされた原爆を許してはいけない、と戦後の日本人は、長く叫び続けてきたのですが、いつの間にか、その痛みを忘れ、他人事の苦しみを無視するようになり、核に守られているからと、アメリカと同調して、核廃絶会に参加もやめて、核禁止に賛成しない恥ずかしい状況。

世界で核廃絶を訴えて、平和を守ろうとする国々に顔向け出来ない政府です。

国民も、暗黙のうちに承知してはいないだろうか?

北の核脅威に、対抗して、核を 持つべきだという意見まで。

共謀罪は、警察の権力を増大させ、人々の自由を奪い取り、戦争中の憲兵のような特権を復活させるものなのに、数の論理で、充分な論議を尽くさずに、自民党が権力で通過させた。

恐ろしいことが、戦争に突き進んでいく危険を私達は抱え始めている。

こういう時のこそ、「広島、私の愛」という作品は存在感を発揮する。

原爆で、焼けただれた身体を横たえ、沈黙のうちに、じっと絶えて、死を待つ人々の姿が映し出される。

目を覆いたくなる、恐ろしく痛ましい光景。

フランスから、平和のテーマで 映画の撮影に、女優としてやってきた、エマと、広島の男が抱き合っている。

 

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「君は広島で何も見なかった。」

  「私は見たわ。全てを。」

二人はこのフレーズを何度も繰り返す。

エマは、ヌベールというフランスの田舎町で、ドイツ兵と激しい恋に溺れていた。

禁じられた恋。破廉恥で不道徳な恋。

ドイツ兵と、森の中で、茂みで、隠れて、二人は深い愛で結ばれている。

エマの 目の前で、エマを待つドイツ兵は撃たれて死ぬ。屍を抱いて、心は死んでいるエマ。

解放に沸くフランス。

 

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エマは、民衆の弾劾を受け、丸坊主にされる。

両親は娘を地下に閉じ込める。

狂気の娘が、おとなしく、理性を取り戻すまで。

 

誰にも語ったことのない、心に深く閉じ込めていた、恋に、エマは再び、ヒロシマで

再開する。

ヒロシマの男とエマは、どちらも結婚している。

許されざる恋。破廉恥で不道徳な恋。

激しく愛し合う二人の男女は、再び引き裂かれる運命にある。

ヌベールで失った、恋人に、ヒロシマで再び出会った。

苦しくて、焼けただれる苦しみ、それは、エマがヌベールで体験した恋と似ている。そっくりなのだ。

フランスでの、妻としての、道徳的で社会的な存在を無くして、エマは狂気の愛に埋もれる。

男の名は、ヒロシマ。女の名はヌベール。

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ヌベール、というのは、Never という、言葉。決して、という意味。

ノーモア、決して、という言葉と同意義語。

 

戦争によって引き裂かれ、深い傷を負い、苦しみと記憶を封じ込めていたエマは、ヒロシマ、原爆、で

愛に再開する。同じ傷をおったヒロシマで。

 

 

 

 

恋は狂気。戦争も狂気の沙汰なのだ。

戦争に駆り立てる狂気と、愛し合う狂気と、どちらもが、人間が欲望に左右されて、相手を我が物にしたいという欲望

 

勝利に狂喜して、エマの髪を刈って、弾劾するフランスの女達も、狂気の恋に落ちれば、理性や道徳などは吹っ飛んでしまう。

 

戦争は悪だ。戦争の狂気は、愛に置き換えれば、防げるはずだ。

刀を、語り合う言葉に変えて、互いの理解を 模索すれば、理性を取り戻せるはずだ。

男と女のいかなる激しい恋も、時間と共にいつか色褪せ、理性が互いを包むようになると、

あの狂気は、なんだったんだろうと思うだろう。

 

この映画でも、男はヒロシマ。女はヌベールに。

個人的な存在ではなく、誰にでもつけられる無名の名になる。

 

戦争の狂気を、人間を愛おしみ、愛することに、昇華することで、ノーモア、ヒロシマ.

平和を持ち続けることが可能になるのではないか、とこの映画は訴えている。

 

 

 

篠田桃紅

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先日、日野原さんが亡くなられて、追悼番組で、スイッチという、互いの領域について、交互のお宅や、仕事場を訪れて対談するという放送を見ました。

日野原さんは、聖路加病院の院長で、以前から知っていましたし、考え方は、あちらこちらの放送で存じていました。

新鮮な驚きと、素敵な女性として、学ぶところが多いのは、篠田桃紅さん。

共鳴する考え方もあり、出来れば、理想とする生き方をしてこられているからでしょう。

理想というのは、私には決して出来ないから、理想なのです。

篠田桃紅さんが言っておられる言葉で、一番惹かれた言葉があります。

 

私は欲が深いんだと思います。

もう自分の持つ力や能力として、これくらいなのだと、諦めることができないのです。

毎日、もう少しましなものが書けるはずだ、もっと納得のいく作品が作れるのではないかと

筆を使って、紙に描くわけです。自分の限界を受け入れる謙虚さがないのです。欲張りなんです。身勝手というか、わがままなんです。

 

105歳という年齢を考えれば、桃紅さん自身が、恥ずかしいとの謙虚の表れなのでしょう。

 

http://www.gi-co-ma.or.jp/collection/photo/  篠田桃紅

 

そして、

 

未来のことは考えたことがないです。描くことは、私にとって、生きることと同じ。

自然なのです。

理屈や、常識に左右されずに、自然「私という存在」が、欲求するままに、自然に導かれて、生き、制作している、ということなのでしょう。

 

一方の日野原さんは、人のために生きることが大事、生かされた命を、他の人にために生かすことが人間に与えられた使命であるという信念が、日野原さんの生命力になっています。

10年単位で、スケジュールを立てて、遠い未来に向けて、希望が日野原さんを生かしています。

 

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対照的な二人のように見える。

自由とは、自分に因るということだと言い、孤立が基本の桃紅さんと、人は人によって支え合い、希望がなければ生きられないという日野原さん。

 

どちらも、結局は同じことを言っているのだと思う。

 

作品を描き、もっと良いものが描けるはずだというのは、希望に支えられていということ。

作品を発表するのは、人に見てもらいたい、評価を求めているということ。人に支えられ共感を

持たなければ、作品として存在出来ないということ。

 

私は、感心し、素晴らしい生き方を貫いていることへの憧れと学ぶところ多いなあと、

ただ感心するだけで、誰のためにもならず、欲望はすぐに干しゃって、飽き性なので、

理想でしかないわけで。

凡人だということで納得。

 

イージーで、自分に甘い私。

歯科医

 

 

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長い治療期間を終えて、今日は。最後のセラミックを入れてもらいました。

テンプレート療法の治療が、一応これで終了。

歯科医は。末期ガンなので、いつまで治療ができるかわからないと言われてて、途中で放り出されたら困るなあと思ってたのですが、最近では、歯医者さんは、このまま良くなられるのではないかと安易に考えるようになって、つい、下の歯の気になる部分を治してもらえないかとお願いしてしまって。

配慮のないことだったと反省中。

上下の歯の形を損なわない治療してもらえるのは、今通っている歯医者さんだけ。

 

しっかり噛めるようになって、テンプレートの長い治療から解放されて、もうそれで良いではないかと思うのですが、これから先、具合が悪くなって、他の歯医者で、変にいじってもらったら、台無しになつてしまう。

歯科医は、治すのなら、下の歯の両方だと言います。審美歯科医の観点からは、上下の歯が完璧でありたいわけです。

昔は、奥歯に金をかぶせるのは普通だったのです。

母の頃は、わざわざ、金を入れてもらって、見えるように笑ったとか。

反対側に、奥歯に金歯を被せているから、それセラミックに変えないといけないと、歯科医は。

それほど、私はこだわつているわけではないし、費用もかさむ。

それほど大掛かりにはしたくない、と言う勇気もなくて。

あらたな悩み事作ったのは、私。

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歯を治していただいて、中途半端な時間にお昼を食べました。

梅田の地下にある、家族亭で。

鰻丼と盛りそばのセット、美味しそうだけど、多すぎる。遅い朝を食べて出てきたので、そんなには食べられない。

十割蕎麦があるので、シンプルな十割蕎麦を選びました。

 

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この店は、二八でも美味しいのです。家族亭と言っても、お店によって違います。

昔から、ホワイティ梅田の地下にあるこの店は美味しいのです。

父母が健在だったから、良く入った店。

十割蕎麦は、パサパサのお蕎麦を出す店もある。黒い蕎麦だったりもしますが、この店の十割蕎麦は、白い くて、コシがあるお蕎麦。

美味しくて、もっと食べたいくらい。

この店の、稲荷寿しも美味しい。1つから頼めるのです。食べないで帰るわけにはいきません。美味しいですから。

今度はお腹空かして、鰻丼と蕎麦のセットが食べたいです。

 

炎天下、全く日陰なし

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庭に出ると、ジリジリと暑い。

大木が光を遮って、庭の緑をかばってくれていたのだ。

むき出しの庭。

植木屋さんの仕事は午前中に終わった。

アルミの生垣が、木に押されて、一部壊れているのが明るみに。

切ってもらって正解だった。

外から丸見えなので、適当な木を植えてもらう。

夏は、植樹に向かないので、秋になってから。

常緑樹の、あまり背が高くならないものが良いとのアドバイス。

年に一二度、来てもらっていれば、これほど大変な仕事にならなかった。

 

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男手のある家は、ご主人が庭木の手入れをしているところもある。

留守宅で、植木屋に一任している家もある。

 

これからは、私も、お任せにしても良いなあと思っている。

自分ではできないことに、代わりにやってもらえることに使うお金は惜しまない。

自分でできることはできるだけ人に頼らず、自分の身体を使うことも、惜しまない。

普段はタクシーを使わない。荷物があっても、自分で運べるなら、タクシーを使わないで、公共手段を使っている。

歩くことが難しい時に、タクシーに乗って、目的地に連れて行ってもらうと、有り難さが身にしみる。

そいうことに、お金が惜しいとは惜しいと思えない。

ただ、使えるお金があることには、恵まれていて、有難い、感謝。

 

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私は思う。

どこかのテレビで、アン、ミカ、という人が、顔に注射をしてもらっていた。

シワ取りなのか、施術代は50万円だとか。

そういうお金は贅沢だとは思わない、と言っていた。

 

私は、そういうことにお金をかける気もないし、必要もない。

、彼女達は、美顔で仕事をしているのだから、必要経費なのだろう。

 

お金の使い方は、人それぞれに、

値打ちがあるというものにかけているのだと思う。

価値観は様々。

 

誰だって、限りがある。どこに使って、どこで仕末するか、皆、やっていることだと思う。

 

 

 

造園業

 

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暑い夏は、植木屋さんにはきつい。

兼ねてから電話で、予約していた。

奥さんが出てこられて、8月になりますが、とのこと。

いつでも良いです、とこちらは遠慮がち。

だって、我が家の庭はひどい状態。

草が伸びるだけ生え伸び、鉢の花は枯れ、家を建てた時に植えた木が、高くなり、幹は太くて、中は枯れている。

以前から、時折、来てもらっていた。

今は、ケアハウスにいる、働き者のご近所さんの紹介がきっかけだった。

最初は、植木を切ってもらったものを、自分たちで、捨てに行った。

この奥さんは、身体を使うこと厭わず、倹約家。費用を考えてくれたのだろうが、一回で懲りた私は、処分もお願いさせてもらった。

 

近所の空き家にある木を切ったりしていて、我が家の木を切ってあげると親切に切ってくれたのだけど、切り方が悪くて、半分が枯れたまま成長し続けていた。家を建てた時に植えたものが

5本あった。息子は気に入っていたし、目隠しになるのが良かった。倒れると言われた。倒れなくても、アルミの柵が壊れると。

根こそぎは、大掛かりな仕事になるので、根元から切ってもらうことになった。

隣の庭に落ち葉が落ちないように、境界にある木も。楠木も。

木のゴミがあまりに多くて、植木屋さんは、何度も一杯になったトラックを運転して出て行く。

一日では終わらないだろう。

私は、おやつと冷たいものを出すために、今日は家にいる。

冬に花を咲かせていた山茶花の葉がなくなっている。

この虫が、皮膚炎や蕁麻疹を起こすので厄介なんです。害虫がいっぱいついている。

この前、友人が、顔中腫れ上がって、蕁麻疹のような皮膚炎になったと言っていた。草抜きが原因だと。

それでピンと来た。これなんだ。

郵便受けのそばにある木だ。薬をかければ治るそうだ。

植木屋さんに来てもらって、助かった。

いくらかかっても良いと思う。

こんな大変な仕事、誰もやりたがらない。

紫外線に当たりたくない。虫に刺されるのはごめん。

膝が悪いからしゃがみこんで草抜きができない。

 

一本だけ残した木を、植木屋さんが切っている。

これだけは、前の家から視線を遮るために必要だから。

そのうちに、切らないといけなくなるだろうが、小さな苗を買って植えたもの。

20年で成人した木だから、他のようになるまではまだ時間がある。

手入れがいるような、立派な木は一本もない。

造園業の、職人さんがする仕事ではないような、庭なのに、断られても良いところ。

雇い人ではなくて、親方が、一人で引き受けて仕事をしてくださっている。

本当にありがたい。

切り株の痛々しい姿に、心が痛む。

周りは、植樹し、手入れの行き届いた、立派な木が大木になっている。

反対に我が家の庭は、ユキヤナギとハーブ、さつきに、マーガレットなど、花だけになった。

夕方、今日はこれで、明日に、と言って帰って行かれた。

 

 

沢田研二、50周年記念コンサート

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今夜、フェスティバルホールでの、沢田研二のコンサートを聴いた。

ジュリーの生の声を聴くのは初めて。

素晴らしい声。練り上げられ、鍛え上げられた、幅と奥行きのある美声は、昨日昨日、できるものではない。

声帯の強靭な強さがなければ、壊れてしまうのではないかと思われるくらいの、熱唱が延々と続く。

身体も軽快で、若々しい。

写真で見たジュリーに、見たくないと思っていた先入観は、どこかに吹き飛んでいた。

ジュリーの鍛え上げられた美声は、魚河岸の競りで、鍛え上げられた声にも、通ずるものがあつて、職人の声。

 

ジュリーは、舞台で、爆発する。

野獣となる。自由に動き回り、思いの丈を発散させている。

内に秘めた若さは、昔のまま、風貌は自然体で、見かけは年取っているけれど、エネルギーは、底知れぬほど力に満ちている。

歌は、ドラマのように、感情を込めて、心をほとばしらせて歌う。

一曲が終わると、ありがとう、サンキュー、を連発して、深々と頭を下げている。

ジュリーの感謝が、自然に現れているのだということはわかるのだけど、こちらは、現実に引き戻されて、がっかり。何曲か空けての方が良い。

ジュリーの自然体は、あくまでも庶民的で、大衆的。

ジュリーのファンが、これだけ多く、一体感を持って、ジュリーに、フィデリティなのは、庶民性にあるのではないか?と思う。

小田一正のエリート的気取りもなく、玉置浩二のように、脆さと狂気的な不安定さもない。

いつも変わらず、気も使わず、自然な、肩の凝りのない舞台なのではないかとおもうのですが、ジュリーの熱心なファンの人達にとっては、違うのかな。