初七日に集まった人は、ほんのわずか。
故人の肉親は誰も。
暖かい、春のような、気持ちの良い日。
昼食は、駅近くの、中華料理のレストランに招待された。
この店は、友人が美味しい店ができたので、時々利用していると言ってた。今度行こう、と言った店。
海鮮中華の。ハイファンの料理長を務めていた人がやっている。
テーブルは、7人。
お料理はとても美味しかつた。
話も弾んだ。
ひとときの、悲しさを忘れる時間。
帰りにコナミに寄って、ヨガのクラスに参加した。
ヨガを担当している、若い教師は、しばらく休んでいた理由から、始めた。
親友が亡くなって、お葬式から、初七日まで、色々な行事で休んでいたとか。
悲しくて、食事をすることを忘れていた、と。
人間はシンプル。
食べなきゃ、動けない。眠らなきや、頭が働かない。
人間は食べて、寝て、身体を動かす。
シンプルなこと。
たしかにそうかもしれないけれど、
わたしは食べられはしても、あこ関節がおかしくなって、食べると顎が音を立てて、痛い。
眠りは浅くて、何度も夜中に目を覚ます。
原因は、精神的なストレス。
精神的なストレスは、体に現れて、それで、精神的な不安を和らげている。
そうだとわかっても、あこ関節の痛みがあるので、
ステーキ用のモモ肉を冷凍してあるのを、しばらくは食べられそうになく、治らないかなあ、という不安。
人間って、それほどシンプルじゃない。
むしろ、複雑怪奇で、自分でもどうしようとなくわからないものだと思う。
そういう複雑怪奇を、一括りのストレスとしているわけで、病は脳の指令で起こっている。
肉体と脳の連携プレイ。
ヨガの境地も、その時なんとなく気持ちよくなっても、そ例外の時は、煩悩に悩まされて、苦しむわけで。
無我夢中になれる時間が、どんな形をとっても、幸せの境地なのだろうと思う。
ヨガで、少しだけ、気持ちいいという瞬間があった。あとは、全然。