青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

北海道で学んだこと

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YouTubeで、盛んに、断捨離や、捨て活で、幸せになると宣伝している。

季節が終わると、服を捨てうもの、残しものに分けて、ときめきがなくなったら、捨てましょう。

消費を煽る経済の成果は、もので溢れて、物に支配されるようになったこと。

ストレスを発散させるために、物を買い漁り、山のような物の中に人間が、息苦しく、精神を侵されながらも、

消費に巻き込まれて行く。

その悪循環を断ち切るために、捨て活、断捨離なのだけど、一方で、新しい物が買えるスペース

を作って 今の自分に似合う物、ときめくものを買うことを薦める動画もたくさんあって、消費マインドを誘う。

 

私も随分服を捨てた。母や父の物を、処分してもらった。

それは間違いではなかったが、母や父は、物のない、貧しかった、日本の育って、戦争を体験して、

物がどれほど、生きるために貴重なものか、身を持って体験してきた。

物を粗末にすることは、罪悪感であり、食べ物を残すなんて、とてもできない。

一粒に米も、お百姓さんが、命をかけて作ったものという意識が強かった。

どこでも、両親の遺品整理に、四苦八苦している。お金を出して、処分してもらう。

北海道の民芸館の展覧会で、物がない、貧しい生活の中で、人にとは生活に美を求め、

丹念に時間をかけて作った、物を、大切に、一生物として、使い続けることで、

物が、人間に馴染み、使い勝手の良い物になって行く。そういうものは、人間に労働時間を

費やしてできるので、決して安くはできない。

人が物と、共存しながら、物にも命が吹き込まれ、互いに愛で結ばれる。

愛着という言葉、そのものの生き様。

大量生産の消費を促す、物を見ても、コーディネーターやスタイリストが進める物品

が 魅力のない物に見える。

今、手元にある物を、工夫しながら、ある物に、活躍の場を作り出すことに、心が動き始めた。

とても大切な物が。ガラクタとして、破壊されていることに、罪悪感を覚える。

 

新しい物を買って、消費しなけれ、経済が悪化して、日本は再び貧乏国になる、

というのは、間違い。

日本は、物作りの国だった。物作りが、日本の経済発展に寄与した。

いつの間にか、真似され、アメリカの消費経済、金融至上主義の奴隷に

され、軍事費を二倍にしてまで、アメリカの軍備品を買わされる羽目に。

国民を不幸にすることに邁進している。

 

物作りにおいて、日本が、革新的な創造力と職人芸に秀でて、精巧で、サステナブルに、人の暮らしを、本当に価値ある暮らしを、

世界に、納得させる物を、作り続けることが、日本を真に豊かにする道であり。それ以外に

日本が浮かび上がる道はない。