ワードローブにかけてある洋服達。
断捨離で、だいぶん捨てたので、隙間が空いて、風通しは良くなって来たのだけれど。
ワードローブをブティックに例えて、かかってある洋服達、どれを買おうかな、と思える物は、ひとつもない。
つまり、良いなあ、ワクワクする、というものがない。
思い出のある服はあるけど。
これぐらいで我慢しておこうとか、きやすさを重視して、美的感覚の全くないものだけ。
でも、個別に見ると、確かに、少しだね、ウキウキするのがある。
バリで、思い切って買った、黒のコート。
わたしにしては、滅多にない、高い買い物。
勿論バーゲン品で。
普段着にはしていない。お出かけ用。
これこそ、普段、毎日着て、飽きるまで着て、ありがとうと言って、役目を終えるともったいなくない。
使ってない物は、置いていても宝の持ち腐れ。
ものは使ってこそ、その価値が発揮される。
タグつけた状態の、長い間放置されている服は、形が古いので、着ないと思う。
いくら高いものでも、置いていると、見るたびにため息の元。
そういうのは、すぐに断捨離できだけど、わたしの場合は、普段着は、なかなか断捨離できない。
だけど、ときめかない。
亡くなった樹木希林のワードローブは、10枚程度の洋服しかなかった。
組み合わせが上手で、いつもスッキリして、きやすそうなお洒落なスタイル。
良いなあ、と思っていた。
わたしも、自分のスタイルを決めなくちゃ。
母が着て、というもの、なんでも、結構似合うので、もらって着て抵抗なかった。
いまは、何着ても似合わないなあ、と思う。
ワードローブに、素敵な、大好きな洋服を。