仏教では、お釈迦様の教えでは、
仏滅も大安も、縁起の悪い日でも。良い日でもない
ということを知った。
仏教の本質は、
すべては自分に起因する。
良いタネを撒けば、良い芽が生まれる、というのが本質であり、悪いタネを撒けば、悪い作物ができる。
この原理を勝手に、自分の都合の良いようにねじ曲げ、誤解して教える僧侶がいることを、
親鸞聖人も、嘆かわしさ、と歌に詠まれたとか。
このお話を、昨夜、寝っ転がりながら聞いていた。
仏滅だから、やめておこう、とか、大安だから、ラッキーを期待したり、わたしもしている。
なんの関係もないことなのか、と思ったら、
気持ちが自由になる。
日々是好日、というのが仏陀の教え。
朝、起きて、1日を有意義に過ごそうと、前向きに生きていれば、毎日、毎日が、幸運な日々だということ。
運が悪い、という考え方は、自分以外の、外部から起こる、厄介事に巻き込まれた、という、被害者意識を抱く人がほとんど。
その不幸や、不都合が、自分のどこかに原因がある、と気づいて、その体験から学んで行けば、
その不幸は、幸せに転ずる。
悪い日も良い日も、すべて、日々、好日となる。
わたしは、すぐに影響されやすい、と言われる。
この話を聞いて、ほんと、そうだわ、と思う。
なかなか、そうはいっても、災難があると、なにかのせいにしたくなる。
そんな時、ふと、これを思い出す、余裕が頭にできたら、見え方も、接し方も、ずいぶん違ってくると思う。
これは、ごく、当たり前のこと。
良いタネを撒けば、良い芽が出る。