青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

痛くない死に方

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お正月前に入れた花が、まだこんなに元気。

 

飛び込んできた、ニュースのフレーズ。

宇崎竜堂が、そんなに悪いのか、と思ったら、

演じた映画から、自分もそういう死に方をしたい、というコメント

だった。

誰だって、苦しまずに、死にたいと願うだろう。

宇崎さんは、多くの人が、パイプをつけられて、苦しむ姿を見てきた、と

語っている。

わたしも、叔母が、4年間、病院のベッドで、パイプをつけて生きながらえたのを

見てきた。

食事拒否から、鼻腔栄養の補給を選んだ。

周りに、屍のような状態の患者を見た。

胃ろう、の老人。

家族は、どんな状態であっても、生きていてくれさえすれば、と

願うけれど、時間の経過とともに、なんとか楽に死ねないものか、

と辛そうな姿に耐えられなくなる。

 

痛くない死に方、というのは、在宅医療による緩和治療で、

自然に亡くなっていく人達を看取る場合のことのよう。

 

テレビで、ドキュメンタリーでも見たことがある。

 

母について、施設から、家族に決めて置いて欲しい、

と提案があった時、

私達子供たちは、一致して、病院には行かないこと

をお願いした。延命治療はしない。

病院に行くと、生きる意味を失っても、命を助ける

措置を選択されるから、その弊害は痛いほどわかっている。

 

脳溢血で病院に運ばれた母親が意識不明な状態で、

延命を拒否した人がいるが、そんなに冷静に判断できる人は

ほとんどいないだろう。

奇跡が行こるかもしれない。

助かって欲しい、とできることはなんでも、

と願う人がほとんどだろう。

 

苦しませたくない、という判断は、子供の愛情の選択

だと思う。

 

今の母は、ほとんど栄養が取れず、持参して、届けている、プリンが

主な栄養になっている。

食事は進まないが、プリンは好んで食べているよう。

痛み知らずで、穏やかで静かに寝ている。

お風呂も入れてもらうし、時々、リクライニングに乗せてもらって、

ダイニングルームでの催しにも参加させてもらっている。

肌はわたしよりもハリがあって、シワがなくて、ツヤツヤして。

母が生きていてくれるだけで、わたしは、幸せに暮らせている。

コロナ下で、面会時間は少ないけれど、母の顔を見られるだけで安心する。

 

息子が帰ってきていた時、話しかけたらいけないことになってるけど半睡状態で

寝ていた母に、大きな声で、話しかけたら、

目がぱっちりと開き、蘇るように、はっきりした瞳で、息子を見つめていた。

 

母の姿を辛いから見たくないと言いつつ、

会いに、いって、母の反応に、癒された。

よかった、元気だった、一安心。

 

チューブに繋がれていたら、どれだけ心が痛むだろうか。

屍のように硬直して、ミイラのようになって、病院の経営に貢献している、

被害者を見ているから、

 

わたし達の選択は、間違っていないと思っている。

母は、きっと、いつか神様が迎えに来られたら、

静かに永遠の眠りにつくだろう。

 

死ぬことは、眠りから覚めないこととして。