徹子の部屋に、仁左衛門が出ていた。
若い頃は、片岡孝夫、という名前で、テレビの、眠狂四郎、高村光太郎、など、舞台では、ハムレットが素敵だった。
お父さんの13代目仁左衛門も、優しくて、ハンサムだった。
若い頃、松嶋屋を応援していた人が、ひょんなことから母と友達になり、京都の顔見せには、母と一緒に、その人が取ってくれる良席で、毎年、南座に行っていた。
松竹座で、その人について我当さんの楽屋見舞いに行くと、玉三郎さんとすれ違った。
玉三郎さんは、浴衣姿で、当時は鴈治郎だった、藤十郎さんのお部屋に挨拶に来ていた。
松嶋屋のパーティに誘われて、京都のあるホテルにも出かけた。
孝夫さんが主役のパーティだった。
北海道から、九州から、孝夫フアンが、来ていた。
お父さんの仁左衛門さん、長男が我當さん、女型の秀太郎さん。
記念の写真をがアルバムにある。
勿論、孝夫さんとも。
孝夫さんが、東京に行かれて、仁左衛門を襲名してまもなく、大病を患い、周りの人たちは、
もう舞台に立てないのではと心配もされていた。
今日の徹子の部屋でが、一年の病気から、舞台へ復帰された時の話をされていた。
数分前から、観客の拍手が聞こえ、震えながら舞台に立つと、拍手で、清元が聞こえない。
割れんばかりの拍手の中、感覚で舞台に立った。あの時は鳥肌が立って、お客様への感謝は、今でも
鮮明に蘇ると言われる。
顔良し、声良し、姿よし、の三拍子揃った2枚目として、絶大な人気の仁左衛門さん。
関西から東京に行くと、受け入れられないのだけど、仁左衛門は、東京に取られた感じ。
今や、東京の歌舞伎座でも、最高の人気を誇り、15年には、人間国宝に任命された。
一世一代、とは、これっきり後はやらない、という役なので、仁左衛門さんは、2006年に、油地獄を一世一代で封印した。油地獄は、ものすごく体力のいる舞台。
四月の歌舞伎座での、演目も、一世一代だそうです。通し狂言になると、何時間も出ずっぱりになる。
四月はやめようかと思ったけれど、仁左衛門さんの通し狂言だからと、買っていたのです。
金輪際見られない舞台なので、買っておいてラッキーだった。
仁左衛門の弁慶は、いつまで観られるだろう。私は仁左衛門の弁慶が一番だと思っている。
松竹座の弁慶を観に、小泉純一郎さんが来ていた。私の席の後ろにだった。
力強い拍手。総理になる前だった。
体力のいる舞台だから、弁慶をやるときは毎日お肉を食べるそう。
若い頃も、重鎮と呼ばれるようになった今も、若々しくて素敵な仁左衛門さん。
小学校からの幼馴染の奥さんが、いつでもどこでも一緒に寄り添って、良いご夫婦。
息子の孝太郎は、女形だけど、孫の千之助さんが、もう早18歳。
ハンサムで、仁左衛門を継ぐ日も来るだろう。