最近、何をやっても、あまり感動しないし、玉三郎も、感激しないと思うので、年で感性が鈍ってきたのかと思っていたけれど、理由がわかった。
友人が4ステージの癌宣告を受けて、唯一の望みである、抗がん剤の後遺症で苦しみながら、病気と戦っているからだというとがわかった。
いつ何をしてても、そのことが頭にあって、夢にも出てくる。
友人の食欲が少しでも出るかと、思いついたものを送っては、わたしへの気休めになっている。
何回も続くと、それは返って、友人の心の中負担をまねくことになる。
わたしはわたしで、心の辛さを自分の中で処理しなければならないのだけど、
わたしの性格は、心配事が解決するまで、頭から離れず、寝てた覚めても、そのことで支配される、という厄介な性格。
急遽、息子からの誘いで、ニューヨークに行くことになつた。
久しぶりのニューヨークだから、いつもなら、心踊るのに、気が乗らない。
東京に行っても、京都の歌舞伎を見ても、以前なら、お土産を買ってきて、楽しかったと報告してきたことが、今は、言わない方が良いと、ストップが心にかかる。
親しい友人だから、楽しい時も、苦しい時も、共に、そばにありたいと思う。
ドライアイで、目が痛くて、困っているのに、友人のことを思うと、涙腺が開く。
その時だけ、わたしの目は潤うというパラドックス。