終わりがあるのを覚悟しているつもりだけど、
母が、生きていてくれていることは、わたしの生きる力になっていて、一人じゃない、母を頼りにして生きているという常に、安心感があるので、
尿が出ない、と報告されると、いよいよ、という思いで、
連日、睡眠不足の日が続いている。
それでも、友達と電話で笑っていられるのは、
どこかで、まだまだ大丈夫だと思っているから。
沢山の友達との交流のある友人を見ていると、
まめさに、驚くばかり。
1月に亡くなった友人も、個展を続けてきたから。繋がりが多くなったのだ、と言っていたけれど、それよりも、個展のたびに、来て欲しい、と声をかけ、メールやハガキを出して、連絡を怠らないから。
付き合いの多い人は、お金の消費も多くなる。
年金暮らしで、生活するだけでも、余裕のない人達は、会いたい人にも交通費や、宿泊費を使ってまで、会えない寂しさも出てくる。
人間の付き合いは、お金じゃない、と言い切れる人は、それだけ、余裕のある暮らしを維持できている人達。
交流の多い人にも、少ない人にも、孤独になる時期は訪れる。
母は、わたしを愛してくれる、唯一の存在。
母は。母の全てをかけて、わたしを愛してくれている。
わたしはそのことだけは、唯一の真実だと信じることができる。
母がいなくなったら、わたしを愛してくれる人ば、いない。
一般的な愛ではなく、無償の愛。
愛にはいくつもりありようがあつて、人と交わる楽しさ、思いやりのありがたさ、友愛、世の中に、単純な愛は溢れている。
けれど、究極の愛。
無償の愛、神と同じ愛を注いでくれるのは、母。
母がいなくなれば、わたしは、神の愛にすがるのだろうか。