今朝、高野山に書を依頼された書家が、
空海の自筆の書を見せてもらっていた。筆遣いの複雑や動きなどを解説していて、興味が湧いた。
他人を短く言わず、自分を長じないこと
という言葉だったと思う。
頼まれた書家は、慈悲と智慧の二枚を書き上げた。
さらに、庭で、大きい紙に、行、という文字を濃淡の墨で書き上げた。
本当にある仏様は空海の作品とか。
慈悲と智慧を表すお顔。この上なく優しく、素晴らしい。
宗教の教えは、こうあって欲しい。
わたしも、自らを顧みて何もかもできてない。
高野山のふもとにある、茂野という村の、庄屋だった、母方の家の生まれた、祖母は、まさに、仏様のような人と、父がいうほどに、
慈悲と智慧を持った人だったと思う。
高野山に出荷する武士が、そこに泊まって、もてなしを受け、刀をおいて高野山に登った。
乳母付きの祖母は、幼くして、父親を病的亡くし、その後の生活は、一変した。
母は子供の頃、貧しかった中にも、ユーモアのあるエピソードを、笑いながら話してくれた。
まだあるか?な。新聞紙を服がわりに巻いた、浮浪者に、毎日おにぎりをあげていた祖母。
泥棒が入って、祖母が諭して、出て行った話。
祖母が腸チフスにかかって、近所の家にあいさつに回った話。笑い転げて,忘れられない。
祖父母は、歩いて、お遍路に行った時の。不思議な話しをしてくれた。
野宿しかないとくらい中を歩いていると、
ボツと明かりが見える。導かれようにいくと、
親切に泊めてもらったことが何度かあった。お大師さんのお陰をいただいた、と。
亡くなった親友が、高野山に泊まりに行ったという話も思い出す。
宿坊に泊まって、お風呂に入れてもらったとか、精進料理の話とか、とても良かったと。
お墓仕舞いする人が多くなって、高野山の本堂にお骨を収める人の、談話も,テレビで出ていた。
高級感のある納骨堂に入る人は、裕福な人たちだろう。
祖父母のお骨は一心寺さんの、お骨仏に、ほんのわずか、使われて、あとは捨てられている。
清貧に生き、慈愛に満ちた、祖父母の魂は、きっと高野山のお大師さんの脇にあると、わたしは思う。