すごく立派なおせちの写真が送られてきた。
デパートにおせちをおろしている業者から,余ったおせちをどっさり届けられたので、お裾分けに、届いたそうだけど、一人ではとても食べられない量。
近ければ上げたいのに。と。
わたしは、イカリで買った一人おせちを、夜には全て快食して、豪華なおせちを見ても、欲しいとは思わない。
一人暮らしのところに、多量のおせちが届いても、一瞬は嬉しくて。あと、困るだろうな、と思う。
子供の頃のお正月のおせちが懐かしくて、一食は食べたい,おせち。
食べ物が今ほど豊富じゃなかったので。おせちは、特別のご馳走だった。
だけど、毎日おせちの残りが出て、火を入れ直したおせちは、美味しさがないばかりか、食べたくない代物になっている。
ご馳走様は、一回限りだから、その美味しさが残る。
ルーティーンで食べている食事は、飽きない。
朝、起きて、同じものを食べて、いつも美味しい。
身体作りも、同じ。ルーティンで、コツコツと、同じメニューを続けていく。
急にたくさんのことやっても,身体が喜ばない。
やりたくない運動は続かない。
ピアノだって同じだと思う。
わたしの何倍も練習していた人が、指が思うように動かないのは、基本ができてないからだと言われて、教則本からやることを勧められた。
腱鞘炎になっているという。
指が根を上げたのだろう。
わたしは、頑張らない。毎日、少しだけは、弾くようにしている。
一回でも,とにかく弾く。
難しくなってきて、少しは長くなってきた。
ピアノの音が変わってきて、音が良くなってきた。1番安いピアノで輸出用の足のない,小さなピアノ。
ピアノの音が良くなっていくと。わたしのピアノも上達していく。
ルーティーンの毎日が、積み重ねが、進化を可能にするのだと思う。
特別なものがより輝くのは、あくまでも特別だから。それはルーティーンに裏付けされた、特別だから。