歌舞伎座、納涼8月公演のチケットは、猿之助が出ているものばかりを買って、夜の部のチケットを買っていなかった。
最高席の15000円を張り込んで30000演目つかつてしまうので、もう余裕なしと思っていた。
野田版の桜の森の満開の下が、どうしても見たくなった。
二部の、修禅寺物語と、弥次喜多は、一階の三番目だった。
隣に小学生くらいの男の子が前に身体を乗り出して、舞台が見えにくい。
疲れもあつて、うたうとしながら。
弥次喜多は、前回ほどの面白さはない。
隣の男の子は、喜んでいたし、後ろからも笑いが起こるけれど、私のノリは今ひとつ。
東京まで、来ることないかな、なんて。
二部のチケットがあるので、桜の木森の満開の下、の、幕見席に並ばなかった。
すでに、二部が始まるまえから、たくさんの人が並んでまつている。
好評な舞台。
ネットでチケットが買えないかと探したけれど、私が東京で見られる日のはなかった。
二部が終わって出て来ると、幕見席の、後半だけの 見られるチケットが、立ち見席だけど、数枚残っている。
ベンチに座って、とにかく後半だけでも見たいと思い。
隣の女性と、自然歌舞伎の話になった。
その人も、二部を見てから、座っている。
最近歌舞伎にはまったようで、七之助が好きで、8月の歌舞伎座に、何度も足を運んでいるとのこと。
来月から神戸に転勤になるとか。
桜の森の満開の下は、すごく綺麗だと。
ますます、見たくて、後半だけでも、立ち見でも、何が何でも、と思う気持ちが高まる。
彼女は、スマフォを見ていた、直前に安くならないかと、チェックしているものがあって、私が買いたいなら、代わりに買ってあげましょうかと言う。
わたしも買ったことがあるが、こんな直前にかえるなんて、思いもしない。
この辺りにいて、制約すれば、歌舞伎座の前でチケットをもらえるそう。
だだ、下がらなくて、8200円。
彼女は何回も見ているからと、譲ってくれると。
三階の後ろかもしれないとのこと。
座れて、最初から見られるのなら、プレミア付きだけど買いたい。
立ち見席に並ぶのは、そこを離れたら失格。ひとり一枚までの原則がある。
彼女はチケットをもらいに行ってくれて、ゲットできたと手を振りながら戻って来た。
わたしはお金を払って、立ち見席の場所を交換。
係の人がやって来て文句言いそうだつた。
ありがたい。ラッキー。
5000円のチケットだから、3200円も高くなつたけど、今回は本当にありがたいと思った。
三階からの方が、一回の席よりもよく聞こえた。
二部は、聞こえなくて、それも面白さ半減の所以かも。
舞台もよく見えた。
野田版なお芝居は、中村勘十郎と野田秀樹のコラボでいくつかこれまでもヒット作品を作っていた。
亡くなる前からの約束だった、桜の森の満開の下。
勘九郎が主役の耳男を演じている様は、まるで勘三郎が乗り移ったかのよう。
野田さんは、勘三郎のイメージで、作り上げたのだろう。
深い森に鬼が棲む。
役者の鬼だと言っていた勘三郎。
舞台にも鬼が棲む。
心の鬼が、ムラムラと情念を掻き立て、衝動を起こし、この世とあの世の狭間に棲む。
七之助が、のびのびと美しく、純粋で、童のような美しさ。
演劇の全体が、渦巻き、躍動し、やがて、わたしの大好きな、カラスのアリアで、クライマックスを迎える。
最後のシーンが、たまらなく心に響く。
演劇は、クライマックスと共に、どれだけ観客を、この世でない世界に引き込む方決まる。
後に残る印象の深さで。