アポリネールの詩。
映画の題名にも使われている。
この前の、ダイナース情報誌に、伊衆院静のエッセー
が、パリの空の下、セーヌは流れる、だった。
セーヌ川が、3本の線だけではなくて、無数の人々の人生を運んでいく、
と書いていたのが印象てきだった。
フランス語を習ってた時、フラン人教師が、北浜から、淀屋橋、を流れる、淀川が、セーヌ川に似ていると言っていた。
先日の台風で、日本の川は、いく場所も氾濫し、人々の生活を奪った。
人は、水のある場所を求めて、生活の場にして来た。
危険と裏表で生きているのだ。
日本のほとんどの川が、安全ではなく、補修が必要だとか。
喉元過ぎれば、人は忘れる。
忘れられるから、安心して暮らしていられる。
いつもいつも不安を抱いて、危険な場所にいられない。
苦しみは忘れ、喜びだけは残る。
憧れのパリだった。
セーヌ川の辺りで、愛を交わす恋人たち
夜、浮かび上がるライトに照らされた、セーヌ河畔のお城や、建物の向こうに、
ノートルダム寺院が見える。
片側には、エッフェル塔。
パリに住みたいと思ったことも、
いつしか遠く、
スモッグで汚染されたパリ。
抗生物質を飲んだ牛の牛乳
で作られる、チーズ。
外から、見える景色は美しくても、
環境破壊は、人間が生きるために、
侵されていく。
日本を襲う台風の質と進路も、環境破壊が、
引き金になっているように思われる。
父が私を背中に乗せて、泳いだ、紀ノ川。
人々が、河原で洗濯したり、洗い物をしたり。
笑いさざめく、明るい声。
行く川の流れは、元の姿を止めない。
川上から、川下に、流れ続ける。
父の得意げな、優しい笑顔も、
私の心の中に生き続けて、
色あせることはないように、
パリの空の下、セーヌは、心の中で、
キラキラと輝き続けている。