息子が所有する、ニューヨークのアパートが売れて、息子はホッとしているだろう。
マンハッタンの、日本料理屋、清水で、久しぶりに、親子二人で食事をしたときに、
話題は、翌日、返事すると言われている、買いたい人についてに。
息子はすごくストレスになっているという。
冬の休みを使って、車で10時間、走りに走って、ニューヨークにやってきた。
借り手が出て行って、部屋はゴミの山だった。
犬を飼っていたひとで、黒塗りの床は傷だらけ。冷蔵庫や棚の中も、汚いまま。
来た日は、ゴミを片付け、掃除をして、なんとか持参した空気ベッドと布団を引いて寝た。
翌朝、私を空港に迎えてくれて、それからは、アパートの片付けと掃除をしてから、痛んだ部分の修復に取り掛かった。
玄人はだしの日曜大工に、私はただ驚くのみ。
なんでも売っている。タイルの目地に埋め込んで、サラのように蘇る、ザラッとした肌触りのセメンのような素材。
汚れて傷ついたカウンターの木に、電動のヤスリをかけると、綺麗な生地が蘇る。マスクをかけて、空中に舞い上がる木の粉。その上に、艶出しのニスを塗る。
黒い床の痛んだ所をパテで埋めて、乾いてから、黒の床塗り。
壁も同様に埋めて、それからペンキ塗り。
電球を新しく変えて、痛んだ所を全て直す。窓枠などもペーパーで、汚れと痛みを取ってからペンキ塗り。
4階の部屋から、一階まで、ゴミを捨てに何度も。
さすがに、筋トレで鍛えている日常がモノを言う。
何日かかけて、部屋は見違えるように新しくなった。
このアパートは、買うときも安いけれど、売るときも、儲かるまではいかない。
住民の共同組合で運営しているもので、自由に売り買いできない。
貸すのは2年が限度。住むのが条件。
売るときは、住人にふさわしいかどうか、審査があって、評議員全員の承諾がいる。
管理費が高く、1000ドルに近い支払い。
なので、普通のアパートのように、値上がりはないが、安心して住めると言う利点もある。
アパートを売るのに、息子が買った時にお世話になった不動産屋に、売るのも頼んでいた。
買いたい人が いたが、あパートの評議員の一人が、自分の妹のために、買いたいという。
値段の提示は低い。
息子は、相場で買いたい人に売りたい。
評議員が、審査を通さない。妨害が働く。
買いたい評議員が、部屋を見て、綺麗なのに驚いて、すっかり欲しくなった。
息子は、譲る限度を提示。それ以下では売らないと。
清水で、話していた時は、翌日、見に来た人がもう一度話したいと言って、返事が明日あると言うことで、息子は、妨害を続けるなら、裁判に持ち込むと言っていた。
時間をかければもっと高く売れる。
翌朝、息子は、予定よりも早くオハイオに帰ることにしていた。天気予報で、オハイオが雪になるからだった。
私は二日間、ホテルを取った。
翌朝、冷凍庫のうなぎを忘れないように、と何度も電話。出ないので、メール。
もう話は終わって、出発する頃。
うなぎが気になって仕方ない。
やっと繋がったと思ったら、車の運転中。
売れたの?
提示した値段で売れたという。
あれだけ頑張って、綺麗にしたことが報われた。
晴れ晴れとオハイオに帰ることができる。
売れなくて、妨害が続いて、下げなくちゃいけなくなったら、厄介を抱えて、ストレスはひどいものだっただろう。
アパートを買うというのも、考えものだと私は思うけれど、
息子達は、若いから、家賃を払うのは馬鹿馬鹿しいとか、不動産で資産を作りたいとか、頭を巡らす。
あの驚きの働きも、欲が躍動力に。
思い出せば、私もそうだった。
お金を貯めたい。資産を作りたい。そういうことばかり頭にあった。
引っ越しも何度か。平気だった。元気だった。
今も元気でいるつもりだけど、引っ越しの気力はない。身体も金銭も消費生活。