戦後71年、戦争体験した人が、この世を去って、戦争の悲惨さを、平和の大切さを語る人が少なくなっていく中で、最も国民のこころに素直に響くのは、天皇の終戦の日に述べられる言葉ではないだろうか。
天皇は、昨年から、深く反省し、という言葉を入れられた。
安倍首相をはじめとする、戦争の匂いがどこかで漂う政治に、深い憂慮を抱いておられるのではないだろうか?
戦争の日には、ジャーナリストの良心が最も発揮される。
ドキュメンタリーは、戦争へと招いた原因を追求し、平和の大切さを訴えるものが多い。
無知から、無理解を招き、無理解が憎しみを生み、それが戦争を引き起こす。
戦争は、国民に悲惨と不幸しかもたらさない。
日本の無知が、無理解を招き、無理解が敵を作り、憎しみを増大させ、戦争に至った。
一部の権力者達が、天皇制を利用して、神格化し、真実を隠された無知の国民を戦争に引き込んだ。
天皇は、深い反省を持って、戦争の悲惨さを二度と繰り返さないための、国民の平和への努力と、平和への願いを言葉にされる。
その言葉は、国民と共に寄り添い、国民と共に歩まれてうる、国民の象徴としての、天皇の言葉なのたから、それはとりもなおさず、我々国民のこころからなる言葉でなければならない。
若い人も年寄りも、私達国民は、戦争のを招いた原因として、深く反省しなければならない。
日本が戦後、平和を守る国民として、世界の模範的な存在であつたのは、国民の努力の賜物なのだ。
その基本になっているのは、私達の平和憲法、とりわけ、憲法9条を大切に守ってきたからに他ならない。自分たちの都合のいいように変えようという動きが、憲法の改正である。
靖国信奉者達は、日本には、責任がない、という主張をしている。
責任は、他国にあるという考え方そのものが、憎しみを表している。
戦争を引き起こすのは、私達の無知と無理解なのだ。
平和憲法を守ることが、平和を守ることであるということを、知らないという無知。
戦争の悲惨さを体験し、大切な人達を奪われた戦争そのものを憎み、憲法九条を守る人々が、なくなっていく。い