青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

新型コロナ感染状況の分析データ

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新型コロナ対策は、ことごとく間違ってきた。

ゴテゴテに回る、と批判されつつ、何も解決しないままに、ワクチン接種で、解決させようとしている。

三密には、全く関係のない、大草原の国、モンゴールで、中国から強制的にワクチンを受けて、40パーセント以上の人が済ませている。感染者が急激に増えて、ワクチンと平行して、感染が広がった、すでにピークアウトして下降線を描いている。

自然放置のスエーデンと、ロックダウンを厳密に行ったヨーロッパの国と、感染の拡大、ビークから、下降線をたどつた。

アメリカンの場合、

マスクをして、レストランなど、厳しいロックダウンをしたカリフォルニアと、マスクはしない、ロックダウンはなかった、テキサスと、同じカープを描き、収まっている。

 

 

フランスのパストゥール研究所からの分析とか。

岐阜医大の教授が、図を上げて説明している。

さざなみという言葉は、感染して苦しんでいる人達、医療の現場で働いている人たちには、酷いことばだけど、発言した高橋教授は、全くのボランティアで、政府の参与を引き受けていると断言している。

現実のグラフでは、ほとんど、底辺をはうフラットになっている。

その図がフェイクでなければ。

経営戦略のコンサルタントをしている、坂上さんという人は、事実だけを述べること、高潔であることを真っ当にして、厚生省や、エクモのデータを持っている所など調べて、

日本のコロナで亡くなった人は、エクモ177人、人工呼吸器で、970人という正確な数字をあげていて、

取りこぼしを入れても、1300人程度ではないかと言っている。

間違っていれば、教えてほしいと。

そのひとは、20年4月に、40万人の人が亡くなると予測した、西浦さんの発言を、毎回例にだして、そう、ならなかったことについて、西浦さんには、世代責任があると言う。

もう一つ、朝日新聞の元、記者で、政治の闇を書いてきた、佐藤さんという人は、

ファイザーは、薬害が出ても、日本の政府が負担するという約束でワクチンの提供を受けている。

ファイザーワクチンが、なぜ日本の女性の方が圧倒的に副反応がきついのか?

海外の男性90キロ、女性75キロ.を基準にしているのぇ、日本の女性は平均で50キロ。スリムが良いと、46キロくらいで。栄養失調が、影響せているのではないか?

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半分にするとかすれば、副反応も少なくなるのではないか?

 

ワクチンを受けて、二日後に、持病のない若い女性が亡くなった。脳血栓で。

普通は、そういうケースが出たら、即座に、ワクチンはやめるものだが。

このワクチンは。一年未満で、特別に承認されて、特別な意味で使われているので、多少の薬害があっても仕方ない。

コロナで死ぬか、ワクチンで、副作用は容認するかという所だろう。

わたしが懸念するのは、

ワクチンを打つと、無症状の感染者が市中に増えて、それが感染者を増やすのではないか、ということ。

今までは、1000人に一人だった感染者なので、

そう心配しなくてよかったけれど、

感染者で、抗体を持った人が多くなって。ワクチンを打たない人は。感染リスクが高まるのではないか?

母は、施設で、高齢なので、ワクチンのリスクを考えて、打たない選択をした。

お世話してくださる人や、施設内の高齢者のほとんどはワクチンを打つだろう。

抗体ができて。うつす可能性がなくなるまで、

10日ほどかかるとして、その間に、ワクチンを打たない人を感染させるということはないのだろうか?

医療界で、ワクチンを受けて、感染者が減った、とメディアでは、言われているので、そういう懸念はないのかもしれないけれど。それが事実だとすれば。

 

大阪大の、中野教授の分析によると、大阪のピークは、ゴールデンウィーク前にあつた、と言っていた。

確かに、その二週間後。減ってきている。

武田邦彦。環境問題のスペシャリストは、

世界の新型コロナは、ピークを過ぎて、終息に向かっていると思う。と言っている。

 

果たして、わからない。そうあってほしいと願う。