朝、早く出て、お骨をもらって、息子は遺品の中から、
父親が普段使っていたものを選んでいた。
父親の遺影とその両親の遺影も、納骨堂に、縮小して入れる
ことを決めていた。
北御堂は、本町の地下鉄をでたところにあり、参拝者には便利な場所
にある。
故人が、そこに両親のお骨と自分のお骨を納めようと、三体入る、大きさのものを
買っていた。
三百万円払って、供養の80万と合わせて、400万円。
それだけのお金を出せる人はそう多くない。
一心寺さんのように、個人の納骨堂を持たず、
骨佛として、祀ってもらう人の方が遥かに多い。
恵まれた人だけの特権のように見える。
それを利用して、仏の道を解く人たちが、
お金儲けは、相当な利益を生み出す。
お骨を納める前に、お経を読んでくれるのは、
若い女性の尼さん。
髪の毛も豊かで、まだ学生のような風情。
お坊さん達も、若い。
就職難に、逃げ込み寺を選んだような。
ありがたさがかんじられないけれど、
墓仕舞いをする人の多いのをが、ずらっと並んだ、たくさんの納骨堂。
お参りに来る人は、
自由に、仏壇を開きもお参りにできる。
線香は捨て場があり、お供えの花は、そのまま持ち帰らないといけない。
50年の供養が終わると、納骨堂は、整理されて、使用期限が来るというシステム。
車で行って、帰りに、カメラのキタムラで、大きい遺影写真を縮小してもらった。
写真を、北御堂の納骨した仏壇の中に納めたら、今回の仕事は一応終わる。
やれやれというところで、私の弟が、招待してくれていた、夙川の、侘助に。
以前、料理がでてくるまで長く待たされすぎて、ここには以来来てなかった。
今日は、料理もスムーズにでてきて、料理がどれも外れなく美味しくて、
楽しい会食。
食後、ひっそりとした住宅街にある、素敵なバーに案内された。
シェリーが得意のお店だけど、私は久しぶりに、モヒートを頼んだ。
4人とも、それぞれに好きなカクテル。
客は私たち4人だけ。
贅沢で、非日常の世界。
コロナの現実を忘れて、楽しい夜。
31日に、息子達が帰ると、またひっそりとした暮らし。
朝早く出かけて、廃品回収の紙や段ボールを出すのを忘れていた。
お正月を、ゴミだらけのガレージと共に迎えることになる。
ご近所は、正月に向けて、準備していると思う。
何もかも、ほったらかしで、お正月がやってくる。
ゴミ屋敷のよう。