フランスの演劇界において、最も正統的で、過激派と言われる、演出家、2016年に、93歳で演出し、クロード、レジの自身が、最後の作品、になると称する作品。
1960年に、マルグリットデュラスの作品と出会い、イギリス人の恋人、を、マドレーヌルノー主演で演出。を始め何度かデュラスの作品を演出しているというので興味があってチケットを買った。
わたしのチケットは、17番。
春秋座の窓口でチケットを受け取り、まだ時間があるので、学生用のカフェで、サンドイッチとコーヒーで、昼食の代わりに。
招待客も結構いるようで、一般で買った人は少なさそう。
猿之助の時とは比べ物にならないくらい空いていた。
順番に呼ばれて、真っ暗ななか、会場に入った。
いつもの席とは違って、スチールのような席にクッションが乗っている。
二番目の真ん中席に座った。
始まるまで時間が経ち、わずかな電灯が消えて真っ暗になった。
長い時間、何も見えない真っ暗な世界。
次第に奥の方から何か動く気配。
徐々に大きくなり、ゆっくりと形が見えて来て、
大きな男の子よう。
やがて、舞台の前まで現れるが、はっきりしたすがたは、最後までない。
あのような動き方ができるのは、相当に身体を鍛えた人でないとできない。
緩慢で、難しいポーズを維持しなかまら、ゆっくりと身体を移動させる。
オーストリアの詩人、ゲオルク、トラークルの作品。
ゲオルク、トラークルは、1887年ザルツブルグの裕福な商人の家庭に生まれ、若くして薬剤師として働くなかでモルヒネ中毒にかかり、妹のグレーテと近親相姦にあつた。1914年に東部戦線で悲惨な状況の中で負傷者の治療をしていた時に、コカインの過剰な服用で27歳で亡くなった。
作品は、夢と錯乱、というタイトルのように、近親相姦への罪の意識とエロス、戦争の悲惨さと絶望感、家族の没落などが、悪夢と錯乱の中で表現される。
詩の言葉の音楽的な抑揚や響きを大切にし、肉体から出る、身体的な言葉の表現も重視した作品になつていて、観客に、忍耐を強いる作品であるところに、デュラス作品の本質に共通するものがある。
はっきりと見えない闇の中での、役者の身体的動きから、フランシスベーコンの絵を連想する。
演出家が、ベーコンの絵画を意識して、演出しているのではと、想像される。
デュラスの作品にも共通する、近親相姦は、愛のタブーとされている禁止を打破して、自由へ昇華させることなのだが、その自由な愛は、狂気と錯乱の中に承認されるもの。
演出家は、役者の肉体にも、限界的な忍耐を要求している。
絞り出すような、悲痛な叫び声は、張り詰めた弦楽器の弦を引き上げるよう。
本格的な、フランス演劇を観たという印象が後を引くように残っている。
バリで何度か、デュラスの演劇を観た思い出が蘇った。