青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

京鹿子娘道成寺と玉三郎

 

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玉三郎が映像で、玉三郎の肉体芸と芸術とを残す仕事は、歌舞伎をになう、後継者に対してのみならず、玉三郎が人生において、これまで歩んできて、求め続けてきた芸術が、観客との共同作業によって、実現してきたものであり、玉三郎が求め続ける道と、その芸術を共感し、観客が求め続ける道が共通のものであり、それは、玉三郎の死後も、永遠に継承されて行く、人間存在のテーマであるから。

道成寺が、能の道成寺と三井寺から引用され、鐘の音が、108つの煩悩を打ち、諸行無常、是生滅法の恨みから解放され、悟りを得て、曇りのない明るい満月を仰ぐようになる魂の救済という、深いテーマを持ち、限られた、能の呼吸と動きを表現できなければ、踊れない演目だと、玉三郎は解説している。

煩悩の苦しみから、悟りを得て、心が明るくなって、踊りは、派手さを強調し、出来るだけ派手であって良いという。

この発言から、私が見えてきたものがある。

 

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絵画の世界で、高齢になると、絵がおおらかに明るい色とこだわらない大胆さや、いい加減さ、曖昧さに、彩られるのを、たくさん見てきた。

それは、煩悩の苦しみである、囚われ、憎しみ、恨み、是生滅法の恨みから、悟りを得て、アルカイックになって行く様を表現しているのだと。

玉三郎が、越路を追悼する、シャンソンの舞台で、金ラメの衣装に、輝くおおきなエメラルドの指輪や、ダイヤの指輪をして登場するのも、修行無常、是生滅法を、自らに受け止めて、そこから、明るく照らされた月を仰ぐように、。美しいもの、輝くもの、派手さで、心を浮き立たさろうという心からなのだということが理解できる。

越路吹雪が、ゴージャスであることを好み、浪費家で、プレゼント好きであったというのも、戦争の暗い時代、ものがなく、人々は飢え、多くの人が無念に死んで行った時代、苦労づくめで死んで行った、かけがえのない友を失うという、悲しさ、理不尽さを体験し、そこから、明るく生きよう、楽しく、亡くなった人の分まで、幸せになろうと誓った、越路吹雪の悟りが、ゴージャスに、人を楽しませること、最高の歌を届けようと、精進しさせえたのだとわかった。

 

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人間は、生まれて、様々な煩悩に苦しみ、病あり、貧乏あり、恋の失恋があり、愛する人を奪われ、

理不尽な首切りにあったり、希望とかけ離れた人生を背負って生きていかなければならない。

その中に埋没し、手も足も出ない、憎むだけの人生は、暗くて、色のない世界..

黒や灰色の世界。

人間が平等であるのは、全ての人間が、生死滅法、であるということ。

玉三郎が、遠い将来のことは考えない、というのは、今を生きることだけを考えて生きているから。

今できる、最高のことをめさず、それだけなのだ。

 

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出来るだけ明るく、ゴージャスに。汚いものを見せたくない。

観客も、演じるものも、生死滅法を背負っている。

そこから悟りが開けて、時間の無常から解放され、芸術の世界で、感動を共有し、言葉では語りつくせない、表現でしか、表現できない世界を、求め、求道者としての道を歩む、玉三郎の生き様が、娘道成寺を通して、見えてくる。