午前中に、母の施設に行きました。ニューヨークに行く前に熱を出して寝ていたので気になっていたけれど、なんの連絡もないので、元気になったのだろうとは思ってました。
働く人たちに、お土産のお菓子を持参して、母には、メトロポリタン美術館のカレンダーをお土産に。
固形のものは食べられないので、とろみのついた流動に近いものが、食事になっている。
お正月には、溶ける食事で。おせちと鰻丼を頼んでいた。
おせちもうな丼も、それがそうなのかはわからない。
看護婦さんが、食べる時もうつうつされて、ベットで寝られる時間が多くなりました、と報告があった。
わたしも疲れから、長く寝ていたので、歳いくと、人よりも疲れやすくなると思うし、ましてや高齢の母。
気持ちよく寝て、食べたくなくなっても、それが自然なことなのだろうと思う。
そうして、苦しみもなく、長い眠りにつく時が来るなら、人間の命の終わり方として、もっとも望ましい形ではないかとも思う。
看護婦さんに言った。
年取って、最後はだんだんそうなるのですか?
そうだと。
気持ちよく寝ているのでしたら、良いと思います。
部屋に行くと、母は、起こしてもらってトイレに行くところだった。
行くたびに、弱って来たと感じる。
生きていて、元気な時は、活気があり、生き生きしているけれど、少しづつ枯れ始めているのがわかる。
座らせていると、体力を消耗すると言われたけれど、起きている時は、座らせてもらっている。
疲れて寝る、それが自然な形。
私もそうありたいと思う。