一年を通して、家計簿をつけた。子供が小さかった頃、夫がいて、初任給の好きな夫で、給料が上がると、その分責任が重くなって、上司に叱られるのを嫌った。
坊ちゃん育ちでによくある傾向。外ずら良くて、誰もが、良い人、優しい人と言ってくれる。
家で暴力を振るうような人間には見えない。
別れて、随分経つ。良い人という印象は未だに持っている。口の立たない人は腕力に頼る。
親に殴られて育った人間は、無意識に暴力的になる。人が良くて気が弱い人。
家計は火の車。そういう苦い思い出の中に、笑いがあり、楽しい時間があり、息子が、私の分身で、一番近い存在だったあの頃が、幸せだったと思える今。
目の前に、彼らが、私が、あの頃の生活が見える。
マッチ売りの少女が、クリスマスの日、幸せそうな暖かい家の中を、覗き込むような、そんな感じ。
現実に戻せば、私は今、自由に好きに生きることを赦されて、これ以外に自分の生活は考えられない。
私に向いている。私らしい生活。
人は全てを得ることはできない。どっちかなのだ。
久しぶりに、一年を通して家計簿をつけられた。
家計簿と言っても、昔のように、項目に分けて、お金を入れることはなく、
出たもの、入ったものをつけるだけの簡単なもの。
去年よりも、節約できるかなと思ってつけた。
大体の出費がわかった。月に出て行くお金の大体の把握が出来る。
随分使っていることを自覚出来るだけでも、家計簿をつけ通した意義があると思っている。
来年もつけよう。パソコンや、ネットでも、ソフトはあるが、手書きで、計算する惚け防止に一役。