倒れて、大病院に運ばれたら、平穏に死ねない。
最初の2週間は、検査にお金をかけるだけかけても、病院の儲けになるから、徹底的に検査されて、苦しむ。
管を入れられたら、もうおしまい。
外せなくなる。
胃瘻になると、別の集団で置かれる部屋に放り込まれる、と、昨日のテレビで、介護に携わった作家が、出演して語っていた。
子どもがいれば、それはやめてください、と言えるけれど、独り身の人は、ひどい苦しみを与えられ、死なない、という。
そういう状況を、わたしは叔母がいた病院で見てきた。
だから、母に自然死を選んで、病院に運ばない選択をした。
友人のお母さんが、脳溢血で倒れて、病院に運ばれた時、兄弟で、延命の管を抜いてもらった、と聞いた時には、冷静すぎると思ったけど、病院の延命措置に苦しみながら、生きるしかばねのようになっている人を見て、その選択がよかったと思う。
日本の医療は、製薬会社と医療関係者のためにあるのではないか、と疑いたくなる。
患者の立場になって、その人の要望に沿って、医療をコンサルタントする医者がどれだけいるだろうか?
製薬会社から、使って欲しい薬を、使うのに、ワイロを取っている病院や医者もある。
山崎豊子が書いた、小説は、事実を小説化しているだけ。
近藤誠の、医者に殺されない47の心得、と薬に殺されない47の心得、という二冊の文庫本を、読んで、
わたしは、その医者の自論に、影響を受けた。
薬を出さない医者は、患者さんから敬遠されがちで、然も、全く医者として儲からないけれど、
そういう医者は、信頼できる。
心臓の薬以外は、飲まなくていい、というのは極端にしても、薬は、副作用もあるので、最小限にとどめておきたい。
薬を、出せば出すほど、儲かって、検査をすればするほど、懐にお金が入ってくる、という、日本のシステムは、まさに、資本主義社会が生み出した悪癖なのだ。
安らかに最後を迎えたいと願うのを、妨げ、ひどい苦しみを平気で、患者に押し付ける、今の医療、なんとかならないものだろうか?
恐ろしい。