青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

敬老の日

 

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敬老の日を忘れてました。

かかりつけの医者が、話ししたいことがあると言われて、そちらの方が気になってて、

敬老の日を、初めて忘れてた。

今日、母の様子を見に行って、大きい胡蝶蘭に、ああ、そうだ、敬老に日だった、ときずいた。

胡蝶蘭は、弟がいつも、敬老の日と、誕生日と母の日に、持ってくる贈り物なのです。

特に立派な胡蝶蘭に、弟の思いが表れているようで。

私は、母がお彼岸の頃、亡くなるのではないか、と心配していたので、敬老の日を

忘れていたのです。

少し元気になって、今日は、食事もほとんど食べたと聞いて、まだ大丈夫じゃないかなと安堵しているのです。

母の母親、わたしの祖母は、お彼岸に亡くなりましたので、急に弱った母を見て、そんな心配をして

しまったわけ。

食べないと言われて、お彼岸も近く、母が死ぬのではないかと。

お医者様は、25日に、と言うことなので、早急に、心配なことはないのだろうとは思うのですが。

あらためて、話がある、と言われると、ビクっとします。

最悪のことを言われないかと。

人間は必ず死ぬ運命を免れない、と言うことはわかっているつもりだけど、

高齢なら、元気になることはありえなくて、老衰の死があるのみ、だということも、理解しているつもりだけど、

 

母の死を受け入れることはできそうになく、永遠に生き続けて欲しいと願う。

母が亡くなった時の心構えなど、現実には意味がないということもわかっている。