青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

お盆

 

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近くに住んでいる友人に会うのは、お盆のお供えを持って行く時くらい。

でも、いつも、どうしているにかは、気にしている。

何年になるのか、ご主人が亡くなって、毎日なくくらしていたのが、姪が一緒に住むようになり、身体作りに、カーブスに通うようになってから、元気を取り戻して、好きな演劇に参加するようになった。

一年に一度、メインの舞台の準備で、この時期は夜遅くまで帰らないので、

朝、出かける前に、お供えを持って行った。

我が家と違って、花の好きは友人が、なく暮らして、うちにこもっていた時にも、

草むしりをしているときは無心になれて、唯一慰められると言っていたように、草一つなく、花が見事に咲いている。

我が家は、ジャングルのごとく、草は伸び放題、花は全滅、庭を見るにつけ、ストレスになっている。

朝早く、友人のところに行き、今日は、京都に大谷さんに、お参りに行くつもりだった。

昨夜、トレーニングを終えて、帰り道、膝が痛くなっていた。

今朝は治ってたのに、友人の家から帰り、ゼロトレーニングの真似をして、洗濯物を干しに二階に上がると、階段でまた痛くなり、歩くのはやばそう。

洗濯物を干しながら、

きっとこれは、来なくて良いよ、と言っているのかも。

休めよ、と言っているのかも。

 

勝ってな解釈をして、身体を休めることにして、今日は、どこにも行かずに家にいようと思う。

 

トレーニングが終わったときはどこもなんともなかったのだけど、もう少し自分でやろうと、他の機械で、痛めたよう。

 

余計なことしなけりゃ良いのに、といつも我ながら後悔する。

朝早く、でかけられるようにしていると、どこかに行きたくなる。

 

昨日、トレーナーから、今日もジムするのかと聞かれた。

それによって、トレーニングのメニューを変えるから、と。

京都のお寺にお参りするというと、大谷さん?

と聞かれて、そうだと答えると、

一緒、両親が明日は行ってるだろう。

というわけで、今日は大谷さんに、決めてたのだから、と、あれこれやってみたら、余計に痛くなって、行けない。

お盆だから、時にする必要はない、いつでも良いのだ。

心の中に、亡くなった人の思い出が、消えていなければ良い。

思いを寄せるとき、その人は、思う人の中に生きている。

お盆には、亡くなった人たちが、家に帰ってくると言われている。

遠くから帰省する人のように。

全ては、生きている人のための慰めであり、希望であり、生きるための、知恵なのだろうと思う。

 

気休め。