フェスティバルホールでの、イタリアパーリ歌劇場公演、トウーランドットを聴きに行きました。
この日、西宮芸術センターで、玉置浩二の、プルミエールシンフォニーオーケストラの公演と重なって、わたしはうっかりして、この日のチケットを買ってしまい、安くで手放したのですが、
玉置浩二のチケットはプレミアついて、しかも、よい席だったので、残念なことをしました。
トウーランドットは、WOWOWで、メトロポリタンオペラのものを見ていたので、壮大な舞台装置と、衣装、出演者の数が、宮本亜門の言葉を借りられは、オリンピックのようなので、パーリの、シンプルな舞台で、三階、の上の方から見ているので、小さすぎて、ほとんど聴くだけで、表情もわからない。
それでど、音響が素晴らしいので、生では良い。
イタリアパーリ歌劇場は、南イタリアにある、古くからある歌劇場で、その実力の評価が、何年高くなっている。
トウーランドットは、プッチーニの遺作で未完のオペラ。メトロポリタンでは、リユーガ自害するところまでプッチーニが書いたものを、その後を創作したものを上演しているので、そのつとりだつたら、
バーリでは、リユーの月亡くなった所で幕が降りた。
プッチーニは、蝶々夫人で、純粋な愛に身を捧げる女性を描いている。
このオペラでは、その役割は、リユー。韃靼の王子を慕い、盲目の王の世話をしながら、王子を探して、巡り会う。
これまで全ての求婚者達に三つの謎をかけ、解けなくて、死を与える、残酷なトウーランドットを見て、魅せられた王子は、止まる二人の声を聞かずに、求婚を申し出る。
姫の謎かけを三つとも解いて、トウーランドット姫は、結婚を拒否。
王子は、自分の名前をが、夜明けまでにわかれば、
自分は死を選ぶ、と宣言する。
第三幕は、夜中、トウーランドットから、夜明けまでに、王子の名前を探し出さなければ、死刑だと言われた人達。
有名な、曲。誰も寝てはならぬ、が、幕開けにうたわれる。
パバロッティの十八番で、日本では、この歌は、福井さん、と言われる歌。
この舞台でも、とても良かった。
おそらく、メトロポリタン歌劇よりも。
のころで、プッチーニの遺作は、
蝶々夫人の舞台、日本を、中国に移して、
竹取物語を引用したのではないかと、わたしには思われる。
本当の主役は、奴隷リューてばないか?
だとしたら、プッチーニはほとんど完成形で筆を置いたのでは?
竹取物語を、歌舞伎で、残酷で、わがままな姫に作り直して、猿之助が演じていた。
皆殺しをする残酷な姫が、謎解きをした王子に、初めて恋して、優しい姫になる。
修行を終えて、かぐや姫を迎える、月からの迎え。
トウーランドットは、
リューが王子への愛ゆえに、名前を語らず、
王子の幸せを願いつつ、全てを無くせ、希望を失ったリューは、愛の苦しみから、永遠の眠りにつきたいと、自害する。
プッチーニの死後、付け足しているのは、リユーの愛に、心を打たれたて、ショックを受けた、トウーランドット。震えるトウーランドットは、抱きしめられ、熱いキスを受けて、王子への恋に芽生えるという物語に仕上がっている。
プッチーニの、竹取物語への想像が、トウーランドットを作ったとも取れるし、残酷な姫な謎解きは、
昔からよくある設定だから、
その共通点において、愛がすべてをとかす、というコスモポリタンな舞台だとも言える。
西宮まで帰ってくれば、
まだ、西宮芸術センターで、歌っているころ、とか、そろそろアンコールな田園かな、と気持ちが高ぶって。
オペラの中で、バーリ歌劇場のチケットは、まだ安いほう。
ボックスとか、S席は3万円代の設定。
わたしの席は、最低の9800円。
オペラは、オーケストラ席で見るべし、だけど、日本は高すぎる。
一月3日の、ブラは歌劇場の、フィガロの結婚のチケットを特別販売していた。
買わなかった。たくさん並んでいた。
西宮芸術センターの、恒例になつている、なつのオペラは、安くで、有難い。