飛行機の中にある、全日空の情報誌に、伊集院静が、旅行記のガラクタ、というエッセイを綴っている。
その中で、モネについて書いている興味深い文章があった。
フランス、エトルタの崖を描いたモネと同じ場所に立とうと、筆者は出かけて行った。
その日は海がひどく荒れて、強風が吹き寄せていたので、目的地の崖に立つことができずに、
しばらく海辺のカフェで待つことになった。雑貨店とカフェが一緒になった店。
書き手は、モネが描いた他の場所にも訪れている。
画家はルーアンの大聖堂の前の洋服屋の二階から、寒風が容赦なく吹き付ける中、一日中大聖堂シリーズを描き続けた。そこにも訪れ、窓辺に立ち、モネの想像力と忍耐力に感銘を受けた。
風がおさまり、崖に立った作家は寒さに耐えられずにその場を去らずにいられなかった。
モネは、何時間、何日間も、画家の目に映る自然を見つめ、太陽の輝きが織り成す美を追求する。
モネは見る画家だと、セザンヌが言っているが、セザンヌも、サン、ビクトワールでもわかるように、見る人。
モネは、エトルトの崖に数年間通った。
モネの絵画が、愛される理由は、わかりやすい絵画だからだと書き手は言っている。
わかりやすい、と言う意味は、誰の心にも絵画の本質が伝わるという意味だろう。
画家のひたむきな情熱と本質をつかみたいと言う献身的な努力を伴った作業が、絵画に現れていて、光を放っているからだと思う。
舞台での演技でも、音楽の演奏でも、共通のものがある。
観る人と作品を提供するものとの間を駆け巡る共感というもの。