青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

篠田桃紅

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先日、日野原さんが亡くなられて、追悼番組で、スイッチという、互いの領域について、交互のお宅や、仕事場を訪れて対談するという放送を見ました。

日野原さんは、聖路加病院の院長で、以前から知っていましたし、考え方は、あちらこちらの放送で存じていました。

新鮮な驚きと、素敵な女性として、学ぶところが多いのは、篠田桃紅さん。

共鳴する考え方もあり、出来れば、理想とする生き方をしてこられているからでしょう。

理想というのは、私には決して出来ないから、理想なのです。

篠田桃紅さんが言っておられる言葉で、一番惹かれた言葉があります。

 

私は欲が深いんだと思います。

もう自分の持つ力や能力として、これくらいなのだと、諦めることができないのです。

毎日、もう少しましなものが書けるはずだ、もっと納得のいく作品が作れるのではないかと

筆を使って、紙に描くわけです。自分の限界を受け入れる謙虚さがないのです。欲張りなんです。身勝手というか、わがままなんです。

 

105歳という年齢を考えれば、桃紅さん自身が、恥ずかしいとの謙虚の表れなのでしょう。

 

http://www.gi-co-ma.or.jp/collection/photo/  篠田桃紅

 

そして、

 

未来のことは考えたことがないです。描くことは、私にとって、生きることと同じ。

自然なのです。

理屈や、常識に左右されずに、自然「私という存在」が、欲求するままに、自然に導かれて、生き、制作している、ということなのでしょう。

 

一方の日野原さんは、人のために生きることが大事、生かされた命を、他の人にために生かすことが人間に与えられた使命であるという信念が、日野原さんの生命力になっています。

10年単位で、スケジュールを立てて、遠い未来に向けて、希望が日野原さんを生かしています。

 

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対照的な二人のように見える。

自由とは、自分に因るということだと言い、孤立が基本の桃紅さんと、人は人によって支え合い、希望がなければ生きられないという日野原さん。

 

どちらも、結局は同じことを言っているのだと思う。

 

作品を描き、もっと良いものが描けるはずだというのは、希望に支えられていということ。

作品を発表するのは、人に見てもらいたい、評価を求めているということ。人に支えられ共感を

持たなければ、作品として存在出来ないということ。

 

私は、感心し、素晴らしい生き方を貫いていることへの憧れと学ぶところ多いなあと、

ただ感心するだけで、誰のためにもならず、欲望はすぐに干しゃって、飽き性なので、

理想でしかないわけで。

凡人だということで納得。

 

イージーで、自分に甘い私。