青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

玉三郎、イノセントブルー

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昨夜、玉三郎が編集した、プライベートな玉三郎に触れられるテレビ映像を見ました。

初めて訪れた、ボラボラ島から始まって、ほとんどが、ダイビングシーン。

玉三郎のお兄さんはダイビングの専門家で、玉三郎は海に馴染んで育っていましたが、ダイビングの危険性を危ぶんだ兄は、玉三郎にダイビングを勧めなかったので、玉三郎がダイビングを始めたのは20年前、その兄の息子である、甥から手ほどきを受けたそう。

最初の海外経験が、2002年、甥と共に、ボラボラ島。

赤茶の髪を染めて、少年のような身体の若い玉三郎が映し出されます。

美しい景色と、美しい海の世界。

 

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カメラは、玉三郎の別のお兄さんが、やはり、水中の仕事をしていて、水中カメラを作り、て、その開発カメラで、水中の撮影をしています。

魚のように、しなやかな玉三郎、水に馴染んで、舞うようにも見える。

魚の群れ、サンゴの神秘的な美しさ。色とりどりの、自然が作り出した生き物、神が作り出した自然の形、

深層に降り注ぐ、光のシャワー。屈折が作り出す、目に見える光線の不思議な美。

 

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玉三郎の世界は、全てが美に包まれている。

少年のような、美しい身体は、ギリシャ彫刻のように、神に愛された、ホモセクシュアリティー、そのもののような。

ダイビングの海を求めて、世界の美しい、神秘的な海に、2006年までの映像が収められている。

撮り貯めたビデオから、玉三郎が好きな場面を取り出して、作った作品は、美的追求に終始している。

海の中で、玉三郎は自然の一部になり、自然から、心と鋭気をもらうい、新しい力がみなぎる。動物に成れると語っている。

玉三郎は、子供の頃から踊ることが好きで、中学時代に歌舞伎の森田勘也の養子になり、以来、稽古一筋の道、精進を重ねて、玉三郎という美的存在を作り上げた。

水中ダイビングは、玉三郎に取って、遅い思春期の少年時代 お始まりのような気がする。

 

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先日のトークで、玉三郎が、ディズニーランドが大好きだと言っていたことと、結びつくように思う。

思春期を置いてきた少年は、歌舞伎の世界で、唯一無二の、玉三郎を作り上げてから、少年の世界に生き始めたのか、永遠に少年のままに、時間がストップしていたのか。

表舞台と、知られざるプライベートな玉三郎の、そのどちらもが、美的空間に彩られている。

おそらく、育った環境に起因するものだろう。

玉三郎が母親に、三度も新しい家に住めて良いね、というと

玉三郎のお母さんが言った言葉。

お前がいなかったら、新しい家に4回引っ越してた。

 

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お金という、経済的感覚は、玉三郎の辞書にはない。

欲しいものは、安物ではない。職人が丹精込めて、時間をかけて作り出した美の極致を表現するもの。

汗水垂らして、上司に嫌味を言われながら、妻子を養って、楽しみは、仕事帰りの居酒屋での憂さ晴らし、生活に疲労する大人の男達の世界とは無関係な世界に生きている。

玉三郎が追い求めているのは、美の追求であり、住んでいる世界は、神秘的な海の、自然に包まれた、静かで孤独な世界。

男兄弟の末っ子に生まれ、父親からは褒められつ記憶しかないという。

養子に入った、義父は、玉三郎を褒めたことはないという。

玉三郎は、教えられることに忠実で、素直によく聞き、精進を重ねたと言っていたことがある。

反発するというのは、認められない自分を相手にアピールすること。

玉三郎にはそういう必要がなかった。

守られ庇護され、美しい少年は、美しいままに、ナルシスの鏡に映る自分の顔を、より美しく見せる術を探し求めてやまない。

泉鏡花の、「海神別荘」の、海の皇子の言葉そのままに、純粋な世界に玉三郎は存在している。