青空に白い雲が流れるように

読んでくださるあなたに。小さな幸せを感じてほしい。そして私も、読んでくださることで、一人じゃない幸せを感じていたい。そんな思いで、あらゆる垣根を持たないて、好奇心のおもむくままに、手を走らせていたい。明日への小さな幸せを求めて。

アンジェイ、ワイダの遺言、名画「残像」

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映画「残像」を観て欲しい。

世界の情勢が、ナショナリズムに走り、権力に物を言わせて、横暴な政治がまかり通り、

人権が脅かされる危険を危惧する今、第二次世界大戦以後の、スターリン政権の下、第一次大戦で、手足を失った、かつては共産主義に理想に燃えて、革命的な芸術活動で功績を挙げていた、アーティスト

が、大学の教授職を奪われ、アーティスト協会の身分証明書を剥奪され、配給手帳を与えられず、

作品は破壊され、仕事も出来ず、食料品を買うことも許可されず、結核に侵されて、命をも奪われる。

実在の前衛画家、ブワディスワフ、ストウシェミンスキーの、全体主義に屈せず、革命的芸術論を曲げず、情熱的に、真の革命家として生き、全体主義化に倒れた、人間の尊厳の美しさを、映像に残した、アンジェイ、ワイダの渾身の作品だから、この映画を観て欲しい。

日本でも、安倍政権の下で、全体主義が起こりつつある。

官僚が、事実を隠し、安倍政権の忠実な犬の役に徹すると、褒美の栄転が与えられる。

安倍政権に肩を持つ意見のコメンテーターは、安倍政権の接待を受けて、雇われのようになっている。

安倍首相の差別的発言、情動的で、理性なく、頭に血がのぼる体質は、映画の中でも、スターリン主義に洗脳された人達に共通するものがある。

 

知らないうちに、とんでもない状況に陥る危険の中に、私たちは晒されている。

人によって、視覚は違う。人は観たいように観ている。その残像が、心に焼きつく。

映画の中で、ゴッホの絵画について、画家が、学生達に、ゴッホは、どういう視点で風景を観て、描いているのカート尋ねる。誰も答えない。

ゴッホの絵は、4分割に分かれて捉えられている。ゴッホは身体で、風景を観ているという。

つまり 身体の全体、五感で捉えているということだろう。

私たちも、一点でとらえるのではなく、身体全体で、五感を働かせて、今何が見えているかをキャッチしなければならないと私は思う。