先日、お酒に酔って、気が大きくなっていたものだから、里子の費用が2万円というので、なっても良いわと言ってしまった。しかも、二人引き受けても良いなんて。ボランティア活動で頑張っている友人がかねがね偉い、とても私は出来ないことと感心しているものですから、役に立ちたいとは思っているのです。
お酒の席でいい加減なこと言うものじゃないと深く反省。
自分のことで精一杯の人間が里親なんて。
親らしい気持ち持ったことない私が。柄じゃない。
友人は、翌日協会で、インドとフィルピンの子供の里親になってくれる友人がいると報告して、さっそく書類を送ってくれた。インフルエンザで、読むどころじゃなくて、やっと少し元気が出て、読んでいると、やはりだめ。
メールで断り、普通の寄付にして欲しいと申し出た。
一般は、気が楽です。責任ないから。
言うは易く、行いは難しです。
一般寄付で4万円振り込む為に、寄付様に小銭を貯めていたものを出して、金額数えたら、やっと2万円あった。百円玉 五十円玉、10円、1円。夜中数えていた。
重い。
郵便局に持ち込んで数えてもらい、足りないお金を財布から捻出して。
里親にはならないが、子供二人分の一年分の教育費に充てられる。
ユネスコ、赤十字、ユニセフなど、大手はどこも、ほとんどが、権力者に吸収されると聞いている。
作家の曽野綾子さんは、現地に持ち込むと言っていた。
友人は、現地での活動を続けて来た人だから、有益に使われることはまちがいない。
寄付は、経済的にも、精神的にも、負担にならないようでなければならない。
無理すれば、続かないし、かえって災いを招くことにも。それは偽善になる。
歌舞伎のチケットを買うの我慢しようか、とか、食費節約しなくちゃ、とか考えるようになったら、負担がかかっている。
寄付が、寄付する人の心を豊かにして充実感を生むものでないと。
だから、私も、これからも財布の小銭を入れる作業で賄われるものに留まろうと思う。
そこに 5百円玉も加えることにする。
百円玉で4万円はなかなか貯まらないが、5百円玉の威力は結構ある。
目的以上に達したら、ちょっとリッチな外食でも良いし、欲しいものがあれば自分への褒美に使うという楽しみも。